水木しげる
知り合いに容姿は悪くないし身なりもきちんとしている。人に嫌なこともしない女性がいます。だけどその人が気味悪く、側に寄りたくないのです。これは他の人もそう言ってました。彼女の内面が表在するのでしょうか?
元生物学徒として回答を試みます。通知表によく「協調性がない」とセンセが書いてくれました。今頃になって、「あー、センセまちがってなかったよね…」とか感じることがあります。むかしも今も、ほぼ気にしてないですが。質問者様のトラウマ、PTSDじゃね?とする私論を述べます。いつもの通り、ハナシ半分でご容赦ください。質問文を、ファクトと解釈に腑分けしてみます。ファクト容姿は悪くない身なりもきちんとしている人に嫌なこともしない女性解釈その人が気味悪く側に寄りたくない質問者様は脇におくとして、Quora諸賢の皆様から見てどうでしょうか。人生経験豊富な方は”ははぁ、アレじゃね?”とか思ったりしてそうな気がします。質問文でトリッキーなのは”他の人もそう言ってました”の12文字です。N数や確率が重要なとこです。子供のケンカで「みんなそう言ってるよ」のN数が2、確率1%、すなわち200人の学年全生徒に訊いて2人しか同意してない、とかあるわけですよ。私が”ははぁ、アレじゃね?”と思ったのは、トラウマ体験です。”質問者様が小学2年生の2学期、調子にのって騒いでた時に、ひどく叱りとばした担任の女性教師に似てる”、とか、そんな極めてパーソナルな話に帰結するんじゃないですかね、という話です。-自分が過去に傷ついたことがある。-それを未だに克服できていない。どちらも、自分で認めるのは、苦しいことです。だから、ほかのひともそう思ってる、学校のみんながそう思ってる、日本がそう思ってる、世界がそう思ってる、と脳内ストーリーを拡張して行こうとするタイプの人が、時に現れます。そんなわけで、ご質問者様個人としては、当該の”女性”に近づかない、あまり付き合わないようにすればいいだけだと思います。悪評とかを広めようとすると、小学2年生のセンセのお叱りがお遊びだったと思い知るくらいの、オトナの罰則を公私に食らう可能性が高いですから、ご留意ください。女子様の怒りは、まじコワイから気をつけろよ、オイ。そんな感じで、質問者様が末永く、お幸せに過ごされますよう、心より祈念申し上げます_(._.)_https://www.youtube.com/embed/6DP4q_1EgQQ?enablejsapi=1&iv_load_policy=3&autoplay=1Taylor Swift mad woman (Official Lyric Video)
「髪型って大事だな」と思ったこと(エピソード)は、ありますか?
リクエストありがとうございます!つい最近映画が公開した『るろうに剣心』の緋村剣心の髪型の話しです、次の写真の剣心の髪型に注目して下さい、ちなみに写真は2014年公開の伝説の最後編での一コマですいつものヘアスタイルですね、次は今年公開の剣心が抜刀斎と呼ばれていた過去時代描いた時のです実は同じように見えて大きな違いがありますがおわかりでしょうか?美容師なら誰もが知ってるセオリーがしっかり反映されてます、それは結び目の高さです、最初の写真では襟足のあたりでかなり低い位置に結んであるのに対して、2枚目以降の写真は後頭部と頭頂部の間あたり(ゴールデンポイント)で結ばれています、これは結ぶ位置が高いほど若い印象を持たれ、低い位置で結ぶほど年齢を重ねた落ち着いた印象を持たせる、というヘアセットの時に美容師のするセオリーの1つです、これが映画のヘアメイクさんが前作から7年も経ってもちゃんと過去のパートで若く見えるようにしただけかと思いきや、原作の漫画でもしっかりこのセオリーを反映させてます幕末と記述があるので過去編を描いてるページは結び目が高いのに対しこちらの明治以降のページではしっかり結び目を襟足辺りまで低くしてます
不世出にして偉大なる漫画家水木しげるさん。彼が「片腕を失った経緯」について、私はなぜか、今日に至るまでその詳細を知ろうとはしなかったのです。戦争で失ったことは知っていましたが、「それ以上に、真実を知るのが怖かった」のかも知れません。そんな折、ふと覗いたとあるサイトで、彼が隻腕となる経緯を記した漫画の一コマを目にしたのです。その後は強い興味に襲われ、前のめりで幾つかのサイトを横断してしまいました。そこには、太平洋戦争時、彼が弱冠21歳の若さで激戦区のラバウル(ニューブリテン島)に決死隊として出征したこと。途中マラリアに罹り、42度の高熱に魘され、生死を彷徨ったこと。厳しくも苦しいマラリア罹患中、敵の猛爆撃に遭い、自らの左腕を激しく受傷してしまうこと。受傷時にはバケツ1杯分ほどの出血があり、小隊長が輸血を名乗り出るも、自身の血液型を忘れてしまうという大失態を犯してしまったこと。やむを得ずキツく止血したことが裏目に出て、その腕が紫斑(死斑)が出る程に腐敗しはじめたこと。胴体に悪影響を及ぼさぬよう、軍医(といっても目医者だった)の判断で、その腕を切り落とす判断が下されたこと。衛生的なメスなどは見当たらず、その辺にあった七徳ナイフによって、「ノー麻酔」で上腕から切り落としたこと。その後、患部は水木さんの顔よりも大きく腫れ、ウジが大量に沸いて、就寝時には鼻の穴にまで入ってくるほどであったこと。そんな状態でなんと「約1年」もの間、洞窟などに潜伏したこと。(書いていて、涙が出そうです…)その際、10日間飲まず食わずの日々などが当たり前のように繰り返されたこと。同じく怪我を治療する同僚が水木さんの寝るすぐ横で、飢えや病を原因に息絶えていったこと。そんな蜘蛛の糸ほどもない微かな希望を手繰り寄せながら生き存えるも、ある日、切断した腕から回復の兆しを知らせる「赤ん坊のような匂い」がしたこと。その後も現地人と長きに渡り共同生活しながら、身体の回復を気長に促したこと。(ここでも様々なドラマあり)そして、絶望の言葉でも足りないぐらいの苦難を乗り越えて日本に帰ってきたこと。などが、切々と記されていました。水木さんの精神と肉体、そのいずれか一方でも、上記のどこかで朽ち果てていたならば、あの素晴らしい絵やストーリー、そして、コワくも愛くるしいあの妖怪の数々には出会えなかったのです。それを思うと、「よくぞ、生き延びてくださりました!」「ありがとうございます!」の言葉が口をつきます。ちなみに、切り落とした左腕は、「当時の利き腕」だったそうです。あの卓越したイラストの数々は、「残された右腕を利き腕に替えて」描かれたものだったのです。本当に頭が下がります。下げた頭が地べたに着きそうです。改めて調べると、戦争ものだけでも相当数の漫画を出版されていますね。厳しくも辛い内容のようですが、これから買い集めて、片っ端から読み漁ります。この11月で9周忌を迎えるそうです。水木さんの人生経験を前にすれば、もう私の人生においては、「地獄を見てきた」の表現は使えなくなりました。