(2015/10/08)日本史上最初の女性の天皇である持統天皇のおはなしです
おはようございます。
2015年10月の歴史に関する筆者の配信記事です。
日本の天皇で女性は4人おります(あくまで通説・公式)が、小倉百人一首の2番目に採用されたのが持統天皇です。
1番目は父にあたります天智天皇です。
諱(本名)は鵜野讃良(うののさらら)と言いまして、女優の神田うのさんの名前の由来にもなっているそうです。
大化の改新の立役者であった中大兄皇子、後の天智天皇(因みに百人一首1番目でもあります)の娘にして、弟の天武天皇の皇后、実家は蘇我氏の分家ながら朝廷に強力な地位を擁した蘇我系石川氏という名門の出です。
天智の娘ながら天智に反乱を起こした天武の后としてつき従い、天武亡きあと実の息子である草壁皇子に皇位を継がせようとしますが、なんと草壁皇子が突然の病気により他界してしまいます。
孫の軽皇子はまだ幼少なので、仕方なく自ら天皇に即位したと言われます。
そうして軽皇子が成人し文武天皇となり、無事皇位を譲ったところで、我が国最初の体系的な公的歴史書である日本書紀全三十巻は終了となっております。
つまり、この自らの(天武系の)子に皇位を継がせるということが当時の政権の目標であったと自らが著した日本書紀は謳っているということになります。
裏切りや謀略、反乱にクーデターに明け暮れた負の面も多い時代だったようでしたが、精いっぱい生き抜き、そして最後は日本初の火葬に付され夫の天武天皇と一緒に葬られたということです。
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
夫婦仲良く行きたいと思います筆者からは以上です。
(平成27年10月8日 木曜日)
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