信頼されるということ

信頼されるということ

しばらく前に死んだ母親は、他人に信頼される人になってください、と子の私に言っておりました。

そして、その遺言となった信頼される人になるためには、きちんと黙って体を動かして働くことだと思っています。

毒親とか、最悪の環境とかいう言葉があります。

こういうことを言う人の特徴は、なんでもかんでも他人や環境のせいにして、自分では全く動こうとしないことです。

曰く「毒親」に当たってしまった、「親が悪かったから私が今こんなに辛いんです、かわいそうなんです」という、図々しい被害者意識を感じるのです。

近年、個人レベルで情報発信できる世の中ですから、色んな情報が飛び交っていて、このようなブログや、SNSでも、YouTubeでも、いわゆる「心理学」系のものがなんと多いことかと驚きます。

このような「心が弱っている人」向きの「セミナー」的なものはものすごく多くなっているし、心療内科や精神科もかなり増えているということは、「心が弱っている人」も増えているわけなのでしょうが、どうやら、こういったやり方は処方箋としてまったく効果がないと思っています。

世の中の、トラブルを解消する方法はたった一つ。

生産性を上げることだと思います。

なので、立ち止まっている人は、清らかに流れている他人の邪魔をするなと言いたいわけです。

私を構ってもらいたい、自己承認要求に塗れた、「効かない」セラピー漬けのみなさんは、そのような界隈のコンサルタントや、セラピストの養分になっておけばいいんじゃないの、と思うのです。

「世の中の清らかな生産性を止めてしまう」

これを、端的に言えば「(回っている)大切な仕事の妨げになることをやってしまう」ことでありましょう。

もっと具体的に言うと

・仕事に行ってお金を稼いでくる旦那に「私と仕事とどっちが大事なの」と言って困らせ、生産能力を下げる
・会社でトップセールスの先輩に夜な夜な泣きつき、相談に乗ってもらう時間を長くし、先輩の利益生産時間を奪う
・仕事を急に体調不良などで休み、代わりの人を探すなどリカバリーの手間をかけさせ、生産時間を奪う
・そもそも、自分では生産しない
・他人に泣きつく、他人の時間と熱意を消費し、その場所に強制的にとどまり続けさせる

といったところでしょうか。

生産があるから消費があり、そのバランスを保つことで自然の循環が生まれ、循環がうまくいくことがトラブルの無い平和な状態なのではないでしょうか。

そして、この平和な状態が壊れる時というのはこの清らかな生産性が「消費」に追いつかない時だと思います。

今の日本が混沌としてどうも不可解であるのは「生産をする側」の人間が単に減っているからに他ならない。

生産をする、という現実から正当性の看板を持って適当に逃れつづけようとする人が多くなれば多くなるほど、消費が上回り、だんだんゼロに近づいていく。

その意味では、2,000年わりと順調にやってきたけど、いよいよ人口減少でかなりやばいな日本、と思っています。

生産をしない側の人間がトラブルを起こすわかりやすい手段として挙げられるのが、「泣く」「怒る」「不機嫌になる」「仕事を休む」「組織に属しながら勝手な行動をとる」「逆ギレする」こんなところでしょう。

これらは全て「幼児期」に於いての人間の特徴です。

それでも幼児は許されます。なぜならまだ生産できる能力が無いし、さらに将来、立派な生産者として社会還元してもらえるという可能性が十分あるからです。

誰もが子供であったことはあります。なので、子供の気持ちはわかります。

でも、いい加減年を取ったら大人になれよ、ということです。

これは自然の循環でもあります。

生まれたばかりの小さくて弱き存在は、大人が守るべき対象であり、今の大人だって守られてきたから、今の大きくて立派に動く身体があるのだ。

だから、年少者ほど人権濃度が高い。当たり前です。その人権濃度は、年を食っていくごとに、減っていくのです。カラータイマーのようなものです。

ところがその循環を無視して、中身を幼少期のまま留まらせていると、歪みが生まれます。その歪みが、身体は大きくすでに老境にはいっているくせに、中身は幼児のままだから、トラブルを起こすのです。当たり前です。

そしてその歪みを生んでいるものが、私は現代に置いて、「幼児期のままである身体だけ大人をみんなで許す」という緩い社会の風潮だと思っています。

だってこれ、SDGsとかいって、お金になるからです。補助金がわんさか降ってきます。ボーナスステージです。

でもこんなの大嫌いです。

トラブルを起こす人は「未だ幼少期のままでいる」わけで、そこにつけ込むビジネスが横行しているだけです。

少し小金を持っている悩める子羊に甘く優しい言葉をかけたら一時間で10,000円ぐらいもらえるらしい。そんでその人はまた言葉をもらうためにリピーターになるよね。でも別に良くならないよね。お互い山にマムシを獲りに行きなよ。焼酎につけて道の駅で20,000円で売りなよ。お互いお金になるし、体力も、サバイバル能力もついて一回で三度以上美味しいよ、とはならないですよね。

コンビニで安っすいストロング系チューハイ買って酔っぱらって吐いてる暇があったら、そのストロング系チューハイ並べてレジ打ちして、最低賃金のバイト代を稼ぎましょうよ。

例えば18歳はもう立派な大人で社会に於いて、生産性を発揮することが可能な肉体を、ほとんどの人が持っています。

それは曲がりなりにも、親や周りの大人が「食べさせてくれる」ということを継続的にしてくれていたからであり、そうではない家庭の悲劇は、幼い命の消失という悲しい報道でも明らかです。

少なくとも今現在で動ける肉体を持っている人は、間違いなく継続的に与えられ続けたのだ。そこ、自覚あるかということです。

親に感謝しろって。

食べ物を人に与え続けることって結構な不断の努力ですよ。簡単なことじゃあない。

自分はまだ与え続ける経験もしてないくせに、「私の親が毒親で」と、綺麗に化粧された顔で涙をこぼしながら、綺麗にスタイリングされた髪と涙を拭く手の指先に輝くジェルネイルを見せながら言われても、はあ?と思うだけでごあいます。

果ては大学まで仕送りもらって一人暮らしの費用も出してもらって車もスーツも買ってもらえている人もいて、そこまで与えてくれた親を「毒」扱いってどうなの。

高校卒業と同時に大人ですよ本来。

高校卒業と同時にから「はい、じゃあ今日から一人で頑張ってください!」と、一切の援助をしなかったから私はマムシ獲りの日雇いアルバイトにまで手を出すことになったんだけど、それはとても楽しいわけです。

毒蛇はお金になることを知るわけです。

20歳の梅雨時🐍💰

仕事には行く気力がないけど、化粧品や服を買いに行ったり美容室に行く元気はあんのかい。

それはねお医者さんに行くまでもないよ。楽してお金が欲しいという図々しさがあるだけだから。

頭使って自分の怠けを「毒親」とか「環境」とかのせいだけにしてる余裕があるなら、コンビニバイトでも、夜の吉野家のワンオペでも警備員でも、原発の作業員でも、何なら山に毒蛇を獲りにゆけい🐍お金になるから💰そのまま売っても6000円から8000円もらえるから。

今回、改めて離島や田舎や山の中を歩き回って、確信を深めたことを一つ。

大人は、黙って身体を動かして働くもんだということ。

頭で色々悩むのは思春期で終わりにしてくれ。ありのままの私を受け入れて、なんて都合のいい幻想を抱くな。赤ちゃんは泣くのが仕事。大人は黙って、働くもんです。

手を動かして、身体を動かして、賃金を得て、自分自身や、自分の大切な人に美味しいご飯を食べてもらおう。生きるってそういうことじゃないのかい。

悩んで泣いて文句言って夜更かしした挙句に、当日体調悪くしてドタ休みする人を、どこの社会が、どこの会社が受け入れてくれると思うのか。親はいつまでもいないんだよ。

あなたはそのままでいいんだよ、って、お金をとってそんな言葉をかける人は、あなたの人生に一ミリも、なんの責任も取らないよ。あんた、搾取されてるのがわかんないのかい。馬鹿だね。

身体がここまで大きくなって、手足が動くこと。それはあなたがたくさんの人に大切にされてきた、紛れもないない真実です。その中に当然、産んだ親も育てた親も、先生もバイトの先輩も、会社の先輩も入ってる。「毒親」なんて二度と口にすんじゃねえ。親に失礼だ。

現実を見なよ。スマートフォンを手にして、その程度の遊ぶお金があって、何より手足が動く自分の現実を。頭なんかいくら使ったところで、全てはゼロ。ゼロどころか、カロリー消費だけしてマイナスだよ。セミナーで散財してさらにマイナスだよ。ちゃんと手足を動かして、賃金を得て、経験も、筋力も、様々をプラスにしていくんだよ。生み出す側にまわるんだよ。生み出して、自らの価値を確立するんだよ。生み出すってのは動くってことだ。

私には価値がない、とか言って、どんなに本を読んでもセミナーで人の話聞いても価値なんか上がらないよ。他人の話聞いたって学力あがんないよ。

自学しなきゃ。

ちゃんと身体を動かして生産するんだよ。生産し続けた大人にだけ価値が生まれるんだよ。楽して手に入れようとすんな。三年は石にかじりついても頑張れ。

社会は広いんだ。職人さんの世界じゃ40年同じ仕事をされているなんていうのはザラだ。

社会には50年生とかうようよいる。彼らは全幅の信頼を得ている。

こうした本当のプロの迷いの無い洗練された動きのなんと美しいことか。

こういう人は、他人の全幅の信頼を得ている、この人なら間違いないって、最初から信用されているからこそ、仕事が切れずにまわってくるのです。

つまり、ずっと同じことができる人ほど、信頼に値する人はいないな、ということ。

自分のために、備忘録として、書いておきます。

以上