2014年元旦にあたり和をもって尊しとなすということについて書きます

おはようございます。

2014年元旦の記事です。

新年になりまして、初詣に行かれる方も多いと思います。

さて初詣に向かうのは神社が多いと思いますが、日本古来からの風土信仰や神話を整備していく中で成立した日本の神社の世界に対し、最初の新知識として海外からもたらされたのが仏教です。

因みに当時の僧侶とは、大陸の最新文化を吸収した国家公務員の留学エリートのような存在だったと思われ、仏教という一つの宗教のみを単に伝道したわけではなかったようです。

そんな最新洋行知識階級の中心に、聖徳太子こと厩戸皇子は生まれます。

日本では、なぜか歴史的に中途半端ながら、その上に立つ地位の者よりも苦労した者を応援する判官贔屓という文化があります。

源頼朝に対する義経、藤原四家に対する菅原道真、新政府軍に対する西郷軍、曹操に対しての劉備玄徳、読売巨人に対する横浜ベイスターズなど枚挙にいとまがありません。

聖徳太子も、女帝推古天皇の甥として天皇にはならずに皇太子や摂政で生涯を終え、さらに子孫は強力な後ろ盾でもあり二人三脚で国政に当たった蘇我氏から全て滅ぼされてしまったので、この例に漏れない存在のようです。

和をもって尊しとなすとは、この聖徳太子が定めた憲法十七条の第一条に出てきます。

そんなことをいいながら、当の若き厩戸皇子は、2.26事件の早熟エリートも真っ青の武闘派戦争好きでした。

物部氏を滅ぼす血塗られた戦争と権力争いの末に、ともかくも形を整えた天皇中心の国家像を振り返ったところに出た反省の言葉とも言えましょう。

つまり、今は一線から退いた好々爺の名誉会長や特別顧問、相談役が、実は昔はイケイケの武闘派だったり学生運動をやらかしていたりするようなものかもしれません。

初詣の長い行列で思ったことは以上です。

今年もよろしくお願いします。

今年こそは本気出したい筆者からは以上です。

(平成26年1月1日)

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