やりがいや使命感を追い求めた結果の先の何かを仕事にすることができれば幸せだと思う話です

おはようございます。

2019年3月の一隅を照らすというお題でお送りしはじめますビルメン王の配信記事です。

日本の宅配業界のリーディングカンパニーに、ヤマト運輸という会社があります。

クロネコヤマトの宅急便、という商標で全国展開している、あの緑と黄色の目立つ制服の会社です。

クロネコヤマトの配達員は、ただの配達員ではなく、お客さんの大切な荷物を預かり、きっちり届けるという「セールスドライバー」として、ヤマトの制服を来て業務に従事されます。

きっちり、サービスにおけるやりがいを意識している会社なのです。

日本の個別配送物流は自分たちが支えているという誇りと、よりよいサービスを追求しようというやりがいを求める心が、この日本列島には息づいているようです。

世界の常識では、これとは少し違いまして、なんのために仕事をするのかという点において、まずは食べるため生きるために仕事すると答えるのが通常かと思います。

それなのに、単に食べるためのお金を稼ぐための仕事と認識してこなかったのが、昔から日本列島に住まう我々のご先祖様の考えていたことで、災害があったら損得なしでボランティアに出向き、橋を修理したり炊き出しをしたりします。

困った国があれば、井戸を堀り橋を作り、病気を診療し、治水してインフラを整えたり、その上学校を作って教師が教えに行ったりそこで海外協力隊の人は族長(首長)にまでなったりと、それは「給料」を超えたやりがいのためにやっているということです。

筆者が小学生の時に、全校生徒向けの講演があり、それは日本の海外青年協力隊で活躍され、現地の族長(首長)にまでなった人のお話でした。

もちろん、仕事でプロとしてサービスを提供する以上、お代はきっちり頂戴しますが、その上でそれが本人にとってやりたいことか、社会の課題を少しでも解決する方向に向かうかといったところに、給金以上の価値を認めて邁進するということです。

これは、王道に通じるところがあります。

同じことをやっていても、例えば開発途上国にお金を貸しつけてインフラの整備(新幹線とか)を手伝ったりする見返りに、その国のインフラを自国の技術の輸出先にして事実上支配しようとしたり、その国の資源利権に手を伸ばそうといった「覇道」とは別次元の考え方が確かにあるようです。

こういうのは、汚いこと、卑しいこと、卑怯なこととして日本人は忌み嫌いました。

そんなわけで、江戸時代末期に日本に来た外国人が一番驚いたのは、日本では、どんなに貧乏な人でも絵皿の陶器でご飯を食べる、これは、こんな安い値段で陶器に絵をつける職人がいて、それが儲けという前に社会に浸透していた、これを文化度の高さとして驚いたというわけです。

浮世絵を書いた紙も、今の新聞紙程度に茶碗を運ぶ包装紙になっていたりしたわけです。

これだけ、人々の世界を豊かにしたいという使命感を持った職人や絵描きや、その他いろいろな職業人が、それぞれの使命感に基づいてがしがし自分の仕事をしていたというわけなのです。

どうせなら、人様に役立つ仕事をしたいものだということです。

そんなこんなで時代は移ろいまして、現代では、例えばインストラクターも一緒になって合宿するような企業研修においても、普通こうした研修は、インストラクターの人件費をまかない適切な利潤を得るために最低人数を設定しますが、なんと2人の経営者インストラクターが完全帯同する合宿の最低人数は2名から、というような企画もあるのです。

(たった)2名からですか?

と驚かれるわけです。

しかし、これはこうした「合宿研修」をやりたい、世に出したいと経営者が熱望しているからこそやるわけです。

それだけ、気合いを入れて続けていると、それを伝え聞いた大口のお客様や会社様から、(たまには)10名20名の単位でどっとまとめてお越しいただける、ということにも繋がるわけですが、あくまで、最初から大口を釣るために小口でも(営業のために)やる、というわけではなく、「やりたいからやる、続ける」という態度が大切なのだということです。

客の側も、これだけ心を込めてやっている研修ならば、出したお金以上のものを参加者は得て帰ってくるだろう、要は目が違ってくるだろうと考えて、送り出し参加させるわけです。

仕事ですから、という短い台詞できっちりと詰めて準備することができる人間は、周囲に信用されていずれ大きな仕事や立場を任されるでしょう。

部下ができたら、部下のやりがいを刺激し、育て、これを成長させるために心血を注ぐ人間になるでしょう。

そういう人間のやる気の根本やモチベーションを、お金とやりがいといった「それ以外」の二つで理解することができる人間が、これからも求められていくでしょう。

日本列島で歴史が生まれて文字に記録され始めてだいたい2,000年程度でありましょうが、各時代時代において、我々のご先祖様たちはいろいろ考えて一所懸命に生きてこられたわけです。

そういった、やりがいや使命感を追い求めた結果、その先の何かを「仕事」を得られたならば、それは素晴らしいことだと思います。

子供や若い世代に、何をベースに仕事を考えたら良いか、と考えるとこのようなことになろうかと思いましたので、メモがわりに書いておきます。

生きがいを仕事にできるということは素晴らしいことです。

そして、そうするためにはたゆまぬ努力や自らの中の才能を伸ばし続ける忍耐力や鍛錬が絶対に必要なのです。

これからも頑張って行きましょう。

なかなか自らの中の才能を見つけ出せない筆者からは以上です。

(2019年3月20日 水曜日)

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