真田丸

真田山、旧真田丸

大阪城本丸側から向かいますと、森ノ宮、玉造、と来たあとに、一旦、どん!と谷がありまして、その後、ぐーんと登りきった台地が真田丸となります。
真田幸村はまさにここで、天下一品の天覧試合をしかけた、という面もあるなと思うわけです。
とても、計算高く、自分の価値を十二分に見せつけることのできる、胆力と客観性を持つ大将だったと思います。
大阪城から少し見下ろす南側の位置。ここが天下の名城大阪城の唯一の弱点だったと、一瞬で見抜いたその能力とそこに出城をつくってしまう実行力。
そして、徳川方、特に茶臼山の家康からはよく見えたでしょう。
まるで歌舞伎やオペラの二階席から見下ろされている舞台のような場所。
劣勢の中での、まさに起死回生…
これなら、徳川方豊臣側、どちらが勝ってもキャスティングボードは、真田が取ったと東西どちら側からも見なさせる。
あとは兄の信之の上田藩が、徳川幕府で一目置かれることに繋げるというわけです。
完全な劣勢が誰にも明白であるときの、それでも計算し尽くされた、一目置かれる一族継承の戦略。
武田武士の哲学、勇将の戦略を見るようです。