表現
【表現】
福岡にて、夏のお祭りである「放生会(ほうじょうえ)」に行こうと思ったら、恐ろしいほどの雷雨にて中止。
きっと神様のまだはしゃぐなという啓示にて、大人しくしてます。
そしたらば、「今夜復活!8時だョ!全員集合」を地上波でやってまして思わず観てしまいました。
今なら絶対困難。難しい。当時だからできたコントばかりではあるけども。
でも、それでも、放映当時の昭和でも、いゃ〜って言うことは沢山あったんじゃないでしょうか。
要は、芸能とはいろんなものと闘ってるなー。という印象です。
あとやっぱり、少々下品な笑いもあるけれども、そのうえで、まじめな音楽とか笑いの教養というか、そういうものも、しっかりしている印象です。
結局、笑いの歴史である、チャップリンだったり、バスターキートンといった、「喜劇」に対するベーシックなオマージュがある。
普遍的な笑いという筋が通っているエンターテイメント作品なのです。そう。笑いじゃなくて作品。喜劇。
そして、面白いこと、新しい「笑い」を作ってやろうというエネルギーがある。見る側のお客さんも、一生懸命見て、そして腹の底から笑おうという意気に溢れている。だから、余計は批判やためにする批評はしない。それが節度、礼節だというものです。
要は人間尊重。その一点、そこな気がする。
お客さんにもなんだかんだいって節度がある。
さて、いつから、客も演者も地上波も、みんなみんなそろってお行儀悪くなったのかな。自分らしさを勘違いしだしたあたりからかな。
ひょうきん族が台頭して、たしか決定的に全員集合を観なくなったのは、食べ物ネタ、お下劣ネタが多くなってからか。
あと、女芸人に水をばしゃーんと被るみたいなやつ。イエスキリストみたいな十字架に男芸者をあてがって、バッテン切らせて水ぶっかける、そりゃ下劣だろ。
もちろん、時代によって笑いも、節度も変わる。
今も、コンプラだらけで、不自由だけど。
笑いだけじゃなく、エンタメは、
それを言い訳にしてはいけないなと思うわけ。
不自由とか規制があればあるほど、それはチャンスだし、機会だし、それを崩す何よりのネタになる。
すでに、いろいろ新しいことはやり尽くされてる。
だからこそ、それはそれで楽しいことじゃないか。
オールスターですよ。今のネタは。自由より、不自由こそが、想像を創造する。工夫を産むと常々思う。
ということで、嘆くな。考えることをやめないでいただきたい。少なくとも自分は考えることをやめない。時々、試す。で、批判される。それもオッケー問題なし。
傾向とか流れとか、オーソドックスであるなかれ、抜け道を考えろ。
AIなんてクソ喰らえ。
とか言いつつも、そこそこAIと仲良くしながら、舌だしてやっていっちゃる。
やはり知識と経験は裏切らない。
そして書を持ち人と語らい町に出よ。旅をせよ。今は携帯は捨てなくてもいいから街であなたの目に見える何かをさがせ。
常々、思う。
軸は変わらない。
でも、やり方は変わる。
バージョンアップしつつ、普遍的な人間として何かを表現すること。
突き詰めて、そこが最も大事と思った次第。
ドリフターズは最高です。
以上