食器洗い
【食器洗い】
東京オリンピック(1964年、1回め)の選手村「富士食堂」料理長を務め、その後、帝国ホテルの料理長となったシェフ・村上信夫さん。
戦前、少年だったら村上さんは帝国ホテルの見習い厨房からに入り、帝国ホテルの役員までなりました。
十代のとき、帝国ホテルの厨房に入って3年間、仕事は鍋磨きのみだったそうです。ひたすら、デカい鍋を磨く。
一切、料理に触れることが許されませんでした。
何人もの少年が入ってもほとんどの人が保たずに辞めてしまったといいます。
その中で村上さんだけは辞めなかった。
「日本一の鍋磨きになる」と決意し
3年間、鍋をピカピカに磨くことに専念しました。
なお、食器洗いや鍋洗いの見習いのところに回ってくる鍋には
仮に料理が残っていても、ソースの味付けやレシピの秘訣がわからないように、わざと洗剤などがぶち込まれた状態で来るのだそうです。
それらを全部、人一倍きれいに磨きあげます。
自分の顔が映るくらいに、声をかけながら、ピカピカに磨いたといいます。
そうすると、3、4カ月経ったところで
「今日の鍋磨きは誰だ」
と厨房の先輩が聞くようになったそうです。
「今日の鍋磨きはムラ(村上さんの愛称)です」
という若手の答えが返ってくると
不思議とその時だけは洗剤が入っていない状態で
鍋が回ってくるようになります。
村上さんはそれを舐めながら
料理の味を勉強していき、
そして、出征、シベリア抑留、それから帝国ホテルへの復帰、パリのホテル・リッツへの修行、などなど大いに料理の腕をふるい、
周りから認められる
立派な料理人になっていきます。
そして、東京オリンピックの選手村での料理長という大役を、任され、立派にその役目を果たすのです。
私は、何ごとも、法則は決まっているのではないかと思います。
今おかれている状況で、できることを、一所懸命にできるか。
やるかやらないか。
やる人には必ずその人の振る舞いにふさわしいお役目が回ってきます。
文句を言わず、黙々と眼の前のことに取り組んでいる人、人一倍の熱意と矜持を持っている人に、仕事というものは充てがわれるものだと思います。
何かを、「成し遂げた」とか「切り拓いた」というわけではなく、淡々と、やるべきことに取り組み高い成果を上げる。そういう人に大きな仕事は任せたいと思う。これは人の世の常であろうと思うのです。
私も目の前で任された、掃除洗濯整理整頓炊事の片付けといったことから、丁寧にやっていきたいと思います。
パリオリンピックにフランス料理人のお話でした。
以上