(2020/03/02)挑戦するということ(虹を見たければ雨を楽しもう)

おはようございます。

新型コロナウィルスによる日本の学校(小中高校)の一斉休校や在宅勤務の措置を受けて、いよいよ2020年3月の平日が始まりました。

しかしながら、小学生中学生高校生を家に置いて仕事に出る親(共働き)としては、閉鎖すべきは「学校」からではなく、感染源となりうる可能性がもっと高いところの制御と、国外から持ち込まれている感染者の多い国外からの来訪者をストップすることであるという思いを強くしています。

新型コロナウィルスにかかわらず、感染症の爆発を防ぐためには、人間を媒介として広がるウィルスの性質を理解して、ネットワーク理論でいわれる、いわゆる「ハブ」を重点的に対処することが必要だと思います。

そして、今回のコロナウィルスによる感染で重症になるのは、いわゆる小学校中学校高校に行っている児童生徒といった子供ではなく、高齢者に偏っていることはファクト(事実)として示されていること、それから、オープンエアの開放空間での感染はほとんど推定されないものの、閉鎖空間での濃厚接触(手の届く範囲での近接接触)が主要な感染経路であることも客観的に示されてきています。

なにしろ、世界中での症例が約10万例あり、それぞれに対する社会活動についても相当程度トレースされているわけですので、事実をこれだけきちんと積み上げたうえで、ファクトに基づいた判断が行われることを望むわけです。

以上考えますと、小中高校の閉鎖というのは、非常に優先度の低い対応策であると結論づけられます。

特に小学生児童の行動範囲をGPSで追った分析もありますが、ほとんどは校区内での移動に限られ、仮に児童が感染した場合においても、ほとんどの場合、症状は重篤なものにはならず治癒するのが大半です。

したがって、仮にある小学校の児童が新型コロナウィルスに感染した場合においては、その感染が分かった段階で速やかに当該児童の隔離と治療を行い、続いて当該小学校を閉鎖し消毒処理を行い、しかる後に小学校の再開について協議すれば必要にして十分な対応であると考えます。

しかるに、行動範囲や行動類型が特定されている、ある種の高齢者間の感染を拡大するハブやスポットについては、まったく無策のまま時が流れていることを考えるに、大いに疑問に思われる。

筆者自身も45歳であることを考えると、あと20年すれば立派な一般の高齢者の仲間入りをするわけでありますが、こうしたいわゆる普通の一般の高齢者の生活時間を調査した資料によれば、活動が閉鎖空間でなされる参加者多数の活動で、趣味・娯楽として割く時間で多い順に並べてみると、

一位:パチンコ

二位:邦楽

三位:カラオケ

というものが挙げられました。

そうすると、誠に勝手な個人的推論で恐縮ではありますものの、小中高校が原則閉鎖されているである。そうすると優先して閉鎖を要請すべきなのは、パチンコ、カラオケの各店舗、邦楽系イベント、ということになろうかと思います。

そして、この一位から三位までには上がっていないものの、感覚的に、高齢者が多く密集すると思われる場所として、デイサービス施設やスーパー銭湯、そして人工透析などの病院関係も対象になると思われます。

このような、ピンポイントの施設や場所について、適切な対応を取り、人と人との1メートル以上の距離を基本的に保って換気を徹底するなど防止策を取れば、仮にこうした場所がクラスター(感染源)となり広範に広まったとしても、重篤な症状に至るという被害は相当程度抑え込めると思います。

ということで、人命を救い新型コロナウィルスに限らず季節性インフルエンザ等の重篤患者を減らすためには、まずパチンコ施設やカラオケ施設の「休業要請」から行うのが筋であると結論づけられます。

このように、事実を丁寧になぞるだけで、今政府によって大々的に取られている策とはほとんど違う対応の結論に至るわけですが、そもそもこのICTの時代において、高齢者の場所空間移動を把握するなど、政府や警察といった権力機構には朝飯前だと思われるので、そのネットワーク上のハブになる部分に交通規制や入管規制、検温対応などを要請すれば、かなりの感染爆発の可能性を提言することができると思われます。

小中高校の学校閉鎖が始まったところですが、ぜひこうした多面的な事実(ファクト)に基づく分析結果をもって世に問うてもらいたいと願うばかりです。

このように、実は効果に疑問符が付くのに実行される休校措置や、WHO(世界保健機構)からは特段の意味がないと言明されても、それでもやっぱり頑なに庶民になればなるほど、まじめな人ほど頑なに装着する口鼻マスク、そして、デマとはわかっているのによくわからない心理から、客観的関連性とは無関係に売れるトイレットペーパーと全く無関係に売れなくなるコロナビールという、いろいろな事象が起こること、これすなわち、新型コロナウィルスによって「走らされた」「暴走した」我々人間自体が作り出した「神話」であり、「神話」にすがってこれまでの20万年間を概ね発展して(絶滅せずに)過ごしてきた我々人類の集合知でもあるのかもしれません。

したがって、これらの不合理な事象には、実はどれも共通点がありまして、これらを無意味不合理とただ嗤っているのではなく、新型コロナウィルスのような未知のものに対する不確実な不安定な状況を何とかして安心感を得たい、と願う人間の心理が、具体的であるけれども非合理な行動に駆り立てているといえるのではないでしょうか。

つまり、これらは少し先も不確実な状況に対して自ら働きかけることを通じて安心感を得たいという人として真っ当な心理的働きの結果出てくる、外形的現象というわけです。

日経平均もまだまだ下がるかと思いきや、なんと2020年3月2日はプラス300円超で引けそうです。

これもまた、人々の心理が反映した鏡のようなものだと思います。

太古の昔から、人間は疫病に際して神仏や大自然に祈ったりしていました。

それは、昔はまっとうな対応方針であり、今でもこうした行為は、状況の客観的解決からほど遠いけれども心理的安心感にはつながるものとして、心の安寧を得るため、一定の合理的な席を人々に与えているのです。

かように、社会とは、人間とは不合理なものでありまして、こうした集団である我々の世界は、人間たちを中心において、いろいろな社会単位のレベルや社会階層のレベルの様々な不合理はすべて包含したうえで、進んでいくものであるのかもしれないとも思いました。

こちらからの勝手な推論は以上です。

(2020年3月2日 月曜日)

(2014/12/03)師走になったので改めて我が国の宗教というものをいろいろ考えてみる話