映画における主人公の中の矛盾について

「魔女の宅急便」クリエイティブ・コモンズ(CC)

アニメ映画における一人の女性主人公(ヒロイン)の中での矛盾する気持ちやその後の成長を別のキャラクターとして登場させるという手法について述べておきます(ほぼオタクの話)

おはようございます。

新型コロナウィルスによる日本の学校(小中高校)の一斉休校や在宅勤務の措置ばっかりの話でオンラインの話も溢れておりますので、そろそろ別の話をしてみたいと思いまして筆を取りました。

引きこもりが「善」となり、そして不登校といったこれまでは特に前向きにとらえられていなかったことについても、それなりの社会的地位が得られ、自宅警備員だの穀潰しだの言われていた、いわゆる外に出ずにアニメや動画ばっかり見ているというクラスタ(界隈)の人たちより、明らかにデマとわかるトイレットペーパーがなくなるとかいう神話に基づいて、学校休校の子供も含めて開店前のドラッグストアに並ばせて集団感染のリスクをいや増しているような、または開店前からのパチンコ店に並んで、そこから数時間もの間、濃厚感染のリスクとタバコの煙と騒音に塗れるという劣悪環境下で勝負に打って出る方々とが、どうも同じように見えてしまう今日この頃ですが、その中でも、唐突ではありますが、オタクな筆者の一つの知見として、アニメにおける一人の女性主人公(ヒロイン)の中での矛盾する気持ちやその後の成長を別のキャラクターとして登場させるという手法について述べておきたいと思います。

「魔女の宅急便」という徳間書店、スタジオジブリのアニメ作品があります。

原作は角野栄子さん、初出は福音館書店です。

これを、1991年に、日本を代表するアニメ映画監督に上り詰めた宮崎駿監督によって映画化されたのです。

この映画の主人公、真っ黒なローブに身を包み、大きな赤いリボンがトレードマークの魔女のキキが出てきますが、この作品は、「男性の印象が極力薄い」作品に仕上がっております。

唯一のキキのボーイフレンドとなる「トンボ」という同世代の男の子が出てきますが、これは、いわゆる「女の周囲」をきらびやかにするための「要素」として描き出されているに過ぎず、トンボにとっては悪いですが、「取り巻き」の一人という以上の地位は与えられていません。

もちろん、取り巻き群の男たちの中では、自転車を漕いで空に飛ばしたり、パーティーに誘ったり、飛行船に掴まったまま空に浮きあげられたり(そしてキキによって危機一髪助けられる)、それなりの役目を与えられている愛すべきキャラクターなのですが、ここは残酷なまでに、「一般の男」としてモブ化されていて、一般的なあの年代の男なら、まあやるよな、こういう奴いるよな確かに、という程度の「印象」しか与えられないように(わざわざ)なっています。

その証拠に、トンボ以外の友人たちは、また女の子たちが多く描かれ、その他の男に至っては、「自動車の運転手」以上の地位も名誉も与えられないのです。

セリフももちろんありません。

付記するならば、パン屋のおやじでグーチョキパンの職人である、オソノさんの旦那に至っては、飛行船が来るときの「おい!」という呼びかけが唯一のセリフという徹底ぶりです。

一応、黒猫のジジは男ですが、彼については別の役目があるのでここでは論じません。

とにかく、この映画においては、男というのは徹底的に印象点を下げられ、モブ化され、一般化抽象化された、女を引き立てる役割、という観点で貫かれています。

ここが、宮崎駿監督が仕掛けた大事なところ、というわけです。

さて女子です。

女子は、主人公のキキから始まり、妊娠中(お話の終わりで出産してスリムになる)のグーチョキパンの店主のおソノさん、それから画家を目指して田舎のログハウスに住んでいるガサツだけど卑しくない、本当は美人のウルスラ、さらに薬作りが得意なキキの魔法使いのお母さん、それから、ニシンのパイの配達をお願いした老婦人と、魅力的なキャラクターが勢揃いしているわけですが、この各世代のキャラクターたち、実は「同じ女性ヒロイン」という人格が、各世代に振り分けられて登場している、と見ることができるのです。

キキ(中二病の魔女見習いローティーン、主人公)

ウルスラ(悩める絵描きのハイティーン、準主人公)

おソノさん(パン屋で独立した20代、出産期を迎えたプレママ)

キキのお母さん(30〜40代、働くお母さん)

老婦人(70〜80代、孫がいる優しいおばあちゃん)

という、各世代のチャーミングな女性像が、全く同じ人格が成長するとこのようになるであろうという、まさに同一人物の各世代同時登場劇という、そのような映画手法を用いて世に放った、これが1991年公開し大ヒットを記録した、「魔女の宅急便」の正体なのです。

その証左としまして、映画館で当時筆者が購入した、公式パンフレットにも記載がありましたが、キキとウルスラの声優さんは同じ高山みなみさんであり、いわゆるダブル・ボイス・キャストという手法を用いています。

同じ人なんだから当然でしょう、といわんばかりの宮崎駿監督の無茶振りといいますか、こだわりがわかる逸話だと思います。

声優さんとしての、ギャラはちゃんと二人分もらったのでしょうか。

高山みなみさん、といえば、名探偵コナンの主人公、江戸川コナンの「真実はいつもひとつ!」で有名ですが、実は二人の女性キャラの声を演じ分けていたのですね。

そのようなことが気になるのでは、筆者もまだまだです。

本当は、この「魔女の宅急便」に先立つこと約10年弱、宮崎駿監督の出世作、代表作と言って良い、「風の谷のナウシカ」における主人公(風の谷ジルの子)ナウシカと、アニメ版ではライバルとして登場する(トルメキア第三軍司令官)クシャナ殿下の対比として、実はこの矛盾して対立する二人のキャラクターは、アニメにおける一人の女性主人公(ヒロイン)の中での矛盾する気持ちやその後の成長を別のキャラクターとして登場させるという手法を宮崎駿監督という才能が用いた初めての事例である、つまり「風の谷のナウシカ」についても、男性キャラクターは、たとえアスベルや腐海の剣士ユパ様(あと、1年ちょっと前までは空を飛んでいた族長のジル)がいくらカッコ良くても、トルメキアの平民参謀のクロトワのキャラクターがいくら立っていても、それでも、ほぼ9割は徹頭徹尾単一の、矛盾する女性キャラクターの物語である、ということについて述べたかったのですが、誌面の関係から本日の記事はここまでにいたします。

世界を7日間で焼き尽くした悪魔の巨神兵の末裔(彼も男)をも意のままに操ったトルメキア第三皇女のクシャナ、さらにその上を行く、王蟲の大海嘯を止めるといった離れ業を演じる主人公ナウシカ、そのキャラクターの源泉が実は同じ人物の別側面に過ぎない、というのは、世界が二度見する巨匠宮崎駿監督の真骨頂というべきところかもしれませんが、同じ男としては、ちょっと女子を理想化して盛り込み過ぎだろ、と突っ込みたくなること満載な、ほぼオタクのアニメ話についての感想でした。

ナウシカとクシャナ、それぞれは風の谷という500人程度の部族とトルメキア帝国という大国を率いるという「立場」は大きく違うけれども、本当は同じような悩みをもった、二人の強い王女様の話なんだ、と読み解くと、とても楽しくまた見返すことができると思います。

さて、このように、アニメについての少々うざい良きガイド、副音声解説という自身の「役割」に、最近気づいてきました、絵は不得意ですがテキスト解説は好きでいくらでも書ける喋れる筆者からのオタク記事は以上です。

(2020年3月3日 火曜日)

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