(2020/04/21)原油価格が史上初のマイナスになった日のことをレポートして人間の想像力の前向きな使い方について述べてみたいと思います
おはようございます。
世の中は、常識の及ばないことが起こるものです。
原油WTI(5月物)が史上初のマイナスになりました。1バレルマイナス40ドルという水準、これは原油の保管場所や備蓄場所がなくなってしまったので、仕方ないので売り手が保管料も込みで原油の現物をお金を出して買手に引き取って貰うということです。
原油という、明らかなる「資産」「エネルギー」ですら、保管料も賄えないので投げ売りし、さらに投げ売りどころかマイナス価格として保管料も込みで引き取ってもらう、そんな合理的にはありえるけれども現実にはありえないだろうという世界に我々は生きています。
石油タンクを作る時間も人手も今はないので、3〜5億円出してもいいからタンク1個分の原油を引き取ってくれ、という悲鳴が聞こえてくるようです。
マーケットで動く資産の価格は、当然「実需」によって左右されます。
コロナショックで、世界中のみんなが飛行機とか乗らなすぎる状態が数ヶ月続き、そうしたら、石油使わない、石油いらないんじゃない?という状態からそもそも備蓄用の石油タンクがパンクしてしまい、これ以上受け入れられなった、という事実があっという間に広がると、最後は海上で保管しないといけないという、コストが莫大にかかる保管方法しか残っておらず、かといって、法律や条約で原油を廃棄するということは環境保全上も厳しく禁じられているから、その莫大な保管維持量を払ってでも受け取った側は保管しないといけないという構造、仕組みなのです。
ということで、これは原油自体の資産の性質が変わったから値段が変わったということではなく、通常では想定し得ない保管キャパシティの枯渇という事実が起こり、その「印象」がプロの原油市場関係者に急速に広まったことから起こったことだと言えそうです。
もうひとつ、印象によっていくらでも影響が大きくなるという事例をご紹介しておきます。
この写真が紹介された記事は、全都道府県に緊急事態宣言が発令されて初の週末にもかかわらず、こんなにも多くの人手がこの東京吉祥寺の商店街には見られた、というような全体の(批判的な)論調になっているのですが、よく見ると、この写真は超望遠レンズで遠くのはるか先の数百メートル先までを遠近感を取り去って「撮影」されたものであることがわかります。
その証拠に、商店街で数メートルごとに下がっている吊り広告が、びっしりと隙間なく並んでいるのがわかると思いますし、商店街のアーケードの屋根を支える柱が不自然なほど詰めて配置されているように見えるのがわかると思います。
これを例えば真上から(アーケードの屋根があるので現実には難しいですが)見たとすれば、おそらく、全く違った、人がぱらぱらいるような通常の週末ではない風景が見られることでしょう。
このように、伝えたい大手メディアとしては、まずは「伝えたいこと=PV(page views)を稼げそうなネタ」が先にあって、そしてその「絵」「ストーリー」に沿った写真や動画を、印象操作であるあらゆる手法を使って製作して訴えてくるという「傾向」があるということを我々大衆は知っておいた方が良いということです。
大手マスコミも、大手メディアも、結局のところ「商売」ですから、今、物好きの皆さんがご覧になっている、過疎PVの、この野良ブログのようなアマチュア、ボランティア、趣味のものとは違って、彼ら組織の活動の中には明確な「収益上の」目標、目的があるわけです。
三密は避けましょう、と報道番組で訴えておきながら、同じ放送局のバラエティ番組では、明らかに三密環境での雛壇芸人の内輪トーク(井戸端会議)をいまだに収録して流している、という二重基準の振る舞いができるということも、このことから来ています。
彼らも商売なのです。
ですので、見る方の大衆の方から、三密は良くないということで、不買ならぬ不視聴運動が自然に起これば、先に述べた原油価格のマイナス価格が実現するように、あっという間に世界自体が変わることになると思っています。
コロナショックは我々の生活を一変させました。
その「一変」、のなかにはもちろん厄介なもの(重い肺炎になるとか医療崩壊するとか人が死ぬとか)もありますが、このような、そもそも不要だったのではないか、不要不急なものではなかったのかという様々な事象の「見直し」も含まれていると思えば、物事の捉え方一つで幸せにも不幸にもなる「想像力」というそれ一本のスキルで数十万年やってきた我々人類の真骨頂というものの発揮のしどころではないかとも思います。
共に前向きに頑張りましょう。
こちらからは以上です。
(2020年4月21日 火曜日)