(2016/11/07)かつて日本に鈴木商店というものすごい会社があったということを知ってもらいたい話です

おはようございます。

2016年11月のビルメン王による日本にかつてあったすごい会社の話をしますというブログ配信記事です。

かつて鈴木商店という大商社が日本にありました。

三井三菱を凌駕し、瞬間ながら日本のトップに君臨した総合商社です。

大番頭金子直吉が興して発展させました。

鈴木商店のオーナーの鈴木よねは、金子の博才を買っており少々の投機の失敗は意に介せずブルドーザー金子と呼ばれた辣腕に経営の全てを任せました。

1914年(大正3年)、第一次世界大戦が始まったとき、戦争はすぐに終結し戦争被害による影響で物価が下がるというのが大方の見方であったところ、鈴木商店は海外電報からの情報を駆使して戦況を集め物価は高騰すると読み、世界中で投機的な買い付けを行いました。

鉄、小麦、船などについて日本を介さない三国間貿易を始めるなど独創的な手法で売り上げを急拡大し、金子は「この戦乱を利用して大儲けをなし、三井、三菱を圧倒するか、あるいはその二つと並んで天下を三分すべし」と記しました。

恐ろしい商才とビジョンです。

そしてその全盛期、鈴木商店の売上は16億円(当時の日本のGNPの約一割)に達し、三井物産や三菱商事を遥かに上回ったのです。

当時のスエズ運河を通過する船の一割は鈴木商店所有といわれたものです。
台湾銀行との強力な関係を梃子に、ほぼ無尽蔵の資金供与を受けられる体制にあった鈴木商店は、第一次世界大戦での塹壕の土嚢も供与するなど世界中で羽振りを利かせ、この世の春を謳歌するに見えました。
しかし、鈴木商店の絶頂は一瞬でした。
第一次世界大戦後の反動で株価、工業製品価格、船舶運賃は軒並み下落します。
株式を上場せずに銀行からの借り入れのみで運転資金をまかなっていた鈴木商店は大きな打撃を受け、折しも関東大震災で大量の焦げ付きも被りもともとの経営体力で優位に立つ三井三菱にその取引領域をますます侵食されていくことになります。
ついに昭和恐慌のあおりで日本中の銀行に取り付け騒ぎが起こる中、後ろ盾であった台湾銀行という実質当局監督下の銀行も鈴木商店を見放し、実質的に急遽グループ傘下に収めてきた地方銀行では鈴木商店の巨体は支えられず、鈴木商店は事業停止、清算に追い込まれました。
その後、鈴木商店の関連会社の殆どは当時の商売競合であった三井財閥系列に統合されていきましたが、唯一、金子の部下だった高畑誠一を中心に鈴木商店の子会社本流だった日本商業会社を日商と改め再出発を図り、日商岩井、双日を経て今に至ります。
鈴木商店の流れを組む会社は他にも神戸製鋼所、帝人、太平洋セメントなど沢山あります。
財閥系を瞬間でも凌駕し世界に雄飛した商売人の溢れ立つエネルギーを受け継ぐ企業群です。
栄光なき天才たちだった金子直吉を始めとした鈴木商店のスピリットに、日本人の底力を感じずにはいられません。
我々もどうせ投資や事業をやるなら、夢を乗せたいものです。
三井三菱に入社できなかった筆者からは以上です。

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