自分が納得できる仕事のあり方を見つけることが大切だという話です(2021/04/20)

▼人間、何らか生きていくために活動が必要です。お金が有り余ってたくさんありすぎる、という人でも、やはり、生きていくためには何らかの活動が必要なのは歴史が証明しています。楽をしたいからお金を稼ぐ、というのは正確ではないのです。納得できる生き方をするために動く、というのが正しい気がしています。お金は有用な人と人との媒介ですが、それ自体に価値はなく、いわば「してもらうだけの数字」でしかありません。自分がやることについては自分で金銭的評価を行うことは不可能です。

▼つまり、職場や働く場所を選ぶに際して、もっとも大切なのは、自分が納得できるか、自分のアイデンティティに沿っているかといった存在価値に重きを置くべきだと思います。条件や職能、職種やポジション、肩書はその後です。なぜなら、すでに筆者を含む皆さんがご周知の通り、富や名誉は幸せには直結しません。選んだ職や立場によって人の幸・不幸は決まらないのです。自分基準で世界一不幸な資産家もいれば、世界一幸せなアルバイトスタッフもいるし、自分基準で世界一幸福な資産家もいれば、世界一不幸せなアルバイトスタッフもいるということです。

▼自分が今行っている活動や仕事が、自分が自分自身を確立しつづけるために必要なことであるというアイデンティティの確立に直結しているのであれば、それは自分に取ってとても幸せな職種である可能性が高いです。現に、この合同会社鈴木商店の記事を執筆している筆者に置き換えて考えてみますと、明らかに、自分が自分であるということに突き動かされてこの膨大な、めんどくさい分量と内容の文章を毎日吐き出しています。筆者のめんどくさい分量のこのコラムや記事を見て、ああこの会社は今日もめんどくさく通常運転しているんだなあと感じていただければ幸いです。

▼とはいえ、私達は気づかないうちに、お金と地位のための「仕事」に縛られています。本来自由な「学び」の環境においても、所属している高校や大学や大学院の研究室といった、「外形的見てくれ」「名前」に縛られていることがほとんどです。稼がないと、人の役に立たないと、というそれ以外だともはや人間は無価値であるという強迫観念や同調圧力から、成果だけを追い求めたり、つまらない人間関係づくりに命を燃やしたり、必死に自分の居場所を追い求めてさまよう、そのような人も多いのではないかと思います。筆者もそのような気持ちもわかります。でもそれでは自分自身の仕事や活動が面白くなくなります。仕事とは、自分が自分自身でありつづけるために主体的に行うものであり、自分と遊離した別の成果を追い求めて続けるものではないのでしょう。どんな仕事にも、必ず、今のあなたにしか出来ない事がありますし、あなたでないと困るお客様がいるでしょう。お客様がいなくても、いつも見ている自分自身がいます。

▼職場に居場所なんてなくてもいいし、人間関係がうまく行かなくてもいいし、世界は広いですから、社外の人間関係を構築すればよいし、そもそも自分自身との関係で、自分のやっている事を誇れることが仕事になるのであれば、それで充分ではないでしょうか。何しろ、あなたの人生を評価するのは他者や会社の人事考課ではなく、人生を終える瞬間のあなた自身なのですから。それでは今日も1日頑張ってまいりましょう。