二階さんが生き残っているたった一つの理由
どうして二階さんが老害とか言われながらも残っているのか
二階さんが、あの高齢で老害とか言われながらいまだに生き残っているのは凄いですが、ではどうしてそんな状況になっているのでしょうか。
はるかに年下のスガちゃんは退場して、次の衆議院議員選挙(神奈川県第2区)でも落選しそうな勢いですが、二階さんの地盤、和歌山県第3区の選挙民は、少なくとも筆者の見るところ全くブレていません。
これはどうしたことでしょうか。
和歌山県第3区の選挙民の民度が低いのでしょうか。
そうではないと考えられる理由を考えてみました。
議員秘書生活を11年続け、地方議員を2期務めた現場からのたたき上げです。そして、中央政界に議席を得ると、人事で官僚を恐怖支配した安部さんや菅さんとは違って、相手の身になって考える感情豊かで面倒見の良い、いざというときには腹もくくれる気配りの人となって仲間を増やします。
二階俊博さんには民間の業界人も、官僚たちも、自然と集まり、二階さんのところには人が引きも切らずやってくる状態なのです。
二階さんは、遠藤三郎元建設大臣を師と仰ぎ、その思い出話を実に感動的に語ります。
同じ自民党の中での無派閥で、その都度勝てそうな総裁候補を自民党内で見つけて渡り歩いてきた菅さんとは違って、二階さんは、政治改革の理想に燃えて自民党を飛び出し、そして小沢一郎という稀代の壊し屋に最後までつき従い、そしてミニ政党で政界を流浪し悲哀と辛酸を舐めて、そうして同志を全員落選や引退で失った挙句の果てに、ひざを屈して10年ぶりの自民党に拾われたときは64歳でした。この地べたを這いずり回った経験は自民党公認でぬくぬく当選を重ねた他の国会議員とはモノが違います。
そして出戻った老人二階さんは、当然最初は屈辱的な雑巾がけ仕事を任されます。格下の役割をすべて引き受け、執行部や上層部が要求する以上の成果を出す実行力。その後、実に苦節18年。
その歩みは、小泉内閣の郵政解散選挙を仕切り、郵政民営化法案を成立させ、第一次安倍内閣の国対委員長としてかつての師匠である小沢一郎を封じ込めます。
そして第二次安倍内閣では、野田聖子総務会長の下で会長代行という年齢逆転の人事で仕事に励み、それからご老体ながらようやく衆議院予算委員長に抜擢され歴代最速での予算案通過を果たします。
そして総務会長で自民党最高幹部入りした後、実に77歳で自民党幹事長に上り詰めたのです。
幹事長でやったことの最も大きなものの一つは、自民党の党則を変更してまで安部さんの総裁3選をおぜん立てしたこと、これで本当の名実ともに認められるキングメーカーとなったのです。
ここまでの二階さんの歩みを見ますと、二階さんを批判するどの勢力も、二階さんほどの経験と深みと泥水をすすっていない、適当な覚悟も責任感もない、批判が怖いだけの上っ面連中だけのように思えてなりません。
別に二階さんがとても大好きというわけではありませんが、人間が人間を選挙という枠組みで評価する制度である以上、こうした人間力の勝負で少なくとも負けないように、批判する方も覚悟と責任が問われると思っています。
老害と呼ぶ前に、若害だってあるのかもしれません。行動できない口だけの人間にはなりたくないものです。
こちらからは以上です。
追伸 中曽根前首相について
二階さんとは少し違って、こちらは大政治家を自他ともに自称して近寄りがたかった、中曽根康弘前首相のことです。
彼は101歳まで生きましたが、若い時には昭和生まれの首相になった時には、老人は引退しろなんて言っていたのに、自身が老人になってからはかなり長い時間、終身比例一位という地位を約束されて生涯衆議院議員にこだわり続けるという変節を見せました。ということで、人はわりと年齢によって変わる、ということを呈示して追伸といたします。
追伸2 石原前東京都知事について
こちらも、お若い時には威勢の良いことをおっしゃっておりましたので、貼っておきます。新旧交代。
以上
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