みずほシステム障害は終わらない
終わらないシステム障害の連鎖
なぜ、みずほ銀行のシステム障害は終わらないのでしょうか。
それは、Oneみずほ、と一体感を強調する組織であればあるほど、実は一体ではないという有史以来の法則に見ることができます。
銀行の勘定を司る、基幹系(勘定系)システムについても同じことであり、第一勧銀は富士通製のメインフレーム(大型コンピュータ)の『STEPS』を1988年に導入していました。
また興銀は日立製のシステム『C-base』を、富士銀行は日本IBM製の『TOP』をそれぞれ持っていました。
普通、銀行が合併してシステムを統合する時は、顧客や預金などの情報をどれか一つのシステムに全て移行する『片寄せ』という方法を取ります。
しかし、みずほは合併後も『同じ担当の役員が3人いる』と揶揄されるくらい、旧3行が対等であり純粋にバラバラでした。そのため、各行のシステム、ひいてはベンダーとの取引を温存し、結果として一体感など微塵もない組織や企業風土が出来上がり固定化されたと考えられます。
2002年の統合直前、旧勧銀のSTEPSと、富士銀のTOPを並立させ、別のコンピュータでつなぐことが決まったが、あえなく失敗。それが統合時に発生した障害の原因でした。
このとき、事後処理にあたった情報系子会社の元社員は驚いたという逸話があります。
「第一勧銀のシステムの一部に、1971年に第一銀行と日本勧業銀行が合併した時に作られたとみられるシステムプログラムが残っていたのです」
この部分は、1980年代までには盛んに使われていたプログラム言語「COBOL」で書かれていました。2000年代には使いこなすエンジニアが激減し、現在ではほぼ消滅、いわば「化石」と呼ばれたプログラム言語です。
「当時ですら、わかるエンジニアは現場にいません。もちろん設計図や手引の類いも見当たりませんでした」
これは、もはや生かしてはいけないゾンビシステムです。たとえようもありません。
他の大手銀行のシステムを間借りして、業務委託したほうが早いと考えます。
先日の記事でも記載しましたが、こうした根本原因をよどみなく指摘した、みずほシステム障害の第三者報告書の威力がすごいです。
特に体質ないし企業風土の部分が明快です。声を上げることがリスクになるという大企業の文化はよくわかりますが、ここまで公式に明文化され、世界中に晒されることはなかなかないものと思います。
残された時間はもうありません。
少なくとも筆者自身がこの銀行を利用することは一生ないものと思いますが、まだ顧客基盤が残っているうちに対応されたほうがよろしいかとは思います。
以上