打席に立つのを苦にせずイチローになっちゃう人たち

十七条憲法といえば、飛鳥時代、聖徳太子が制定したとされる道徳的規範を中心とする法令です。

ここで聖徳太子とは一体誰なのかということを論じるには紙面が足りなすぎるので、これは別の機会としまして、この方が遺したとされる世界最古の木造建築法隆寺などを訪れてみれば、その荘厳さというか凄みが伝わると思います。

ただし、まったく修学旅行で行くだけの日本の中高生にはまったく響いていないと思いますけど。

それでいいのです。

さて、十七条憲法は、604年発布。

内容は「和を以って貴しとなす」から始まり、官吏の服務などの訓戒を示し、国家理念と人間の在り方を説いています。

天皇中心の中央集権国家の形成を意図したもので、儒教・法家思想をはじめ仏教思想の影響もうかがえますが、この第一条にある

以和爲貴(わをもってとうとしとなす)

というのは完全に日本人のオリジナル作品だと思います。

正義とか人権とか、権力とかそんなものよりはるか昔から日本列島を支配していた根本思想「和」。

わ、はやわらぎ、とも読み、とにかくみんな仲良く、同調圧力でー

というのが日本の本当の史上の価値観なのです。

そして、日本人の「勤勉さ」は飛鳥時代からまったく変わっていません。

多くの日本人は、「日本人は勤勉だ」と聞いて育ってきた。飛鳥時代に制定された「憲法十七条」の第8条には、官吏、貴族の守るべき道徳的な訓戒としてこうあるのです。

群臣・百寮(上級・下級の諸役人)は、朝早く出勤し遅く退勤しなさい。公事はゆるがせにできないし、終日費やしても全部終わらせるのが難しい(ほど多い)。このように、朝遅く出勤しては急用に対処できないし、早く退勤しては仕事を処理し切れない。

まさに昭和。

早出遅退。日本人の仕事への向き合い方は、この頃から変わっていないのです。

生産性とか効率性とか時価総額とか、そんなものは関係ないのです。勤勉さとはそのようなさもしい数字では測れないものなのです。

一方で、2019年、パーソル総合研究所がアジア太平洋地域で実施した調査では、社外での学習や自己啓発について、日本は「特に何も行っていない」が46.3%に上り、他国に20%以上の差をつけてダントツの1位です。

片や中国、インド、東南アジアの新興国は「何も行っていない」が5%前後と意欲的な様子がうかがえますが、これをもって、日本人は全く学んでいないとするのは本当にナンセンスです。日本人は飛鳥時代から、勝手に朝から夜まで好きで職場や学校に出てきて好きなことだけやってきた、変な民族なんですから。

打席に立とうとしないのにイチローになろうとする人大杉、ではなくて、勝手に打席に立ってしまい、それを練習とも特に思わない、好きだからやってしまう、それで、Nomoとかイチローとか大谷といった怪物が輸出されるのです。

つまり、打席に立つのを苦にせず勝手にイチローになってしまう人たち、の文化です。

彼らも、正しい、日本人の子なのです。

以上

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