残念北橋前市長

現職市長が投票日の前日にあのような内容のツイートをしたことが問題だったと思っています。ツイートを削除してもツイートしたという事実は変わりません。北九州市民の一人として残念至極です。

私見

16年の北橋市政について、市長選挙中、「空白の16年」、「失われた16年」といった表現がなされました。

北橋市政を極めて公平に見ると、経済面では「仕込みはした。これから花開くだろう。だけど、結果として見えるのはこれから。なので、成果としては見えにくい。」、市財政は「努力不足の時期があった。市政終盤かなり頑張ったけど、巻き返すには至らなかった。その間に他市に抜かれて相対的に悪く見えるようになった。新市長は制約のある所からスタートだから大変。」、人口問題は「この問題の深刻さに気付くのが遅かったけど、気付いてからはとても頑張った。コロナ禍で社会動態がプラスに転じさせられなかったのは残念。」といった印象です。

なので、「空白の16年」、「失われた16年」を言って勝った側は「言い過ぎて申し訳なかった」という姿勢になる事が大切です。「間違っていなかった」と突っ張っていると、あちこちで噴射します。ノーサイドにしたいのなら、勝った側が謙虚になるべきです。「空白の16年」、「失われた16年」は市民の信任を得たと思って立ち振る舞っていたら、すぐに新市政は隘路に陥ります。

一方、今回の市長選挙で強調された「国とのパイプ」ですが、実感として、あれは蜃気楼みたいなもので「あると思えばある。ないと思えばない。」くらいです。「国とのパイプ」の強かった例とされる末吉元市長はとてもよく勉強しておられました。脳が汗をかくくらい必死に学んで、国にアイデアを持ち込んでいたわけです。省庁OBという理由だけで優先してもらえる程、中央省庁は甘くありません。

そして、議会が市長に「是々非々」で臨む事については、「そもそも制度がそうなっている」と思います。地方議会は議院内閣制ではなく、二元代表制ですから、市長と議員は選ばれ方が異なります。である以上、いつ何時も是々非々のはずなのです(勿論、個々に市長との距離感はありますが)。市長と議会との間に健全な緊張感がある方が政策が鍛えられていくものです。

ただし、私が言っているのは「『常に』是々非々であるべき」という事であり、市長が交替した途端に是々非々を強調するのは違うような気がします。それはむしろ「是々非々非々非々」くらいに聞こえます。