教えない塾

横浜創英中学・高等学校。この校長1人で、名門校を作り上げてしまうかもしれない。こうした話を聴くと、受験産業に毒された多くの教員がクズばかりであったことを痛感します。そりゃ名門校の「板書」だけは立派だったわけですが。ただただ、黒板に字をびっしりと書くだけ。体罰教員と同じで、「おかしな制度を耐えた鈍感な生き残り」だから、自分のやり方に疑問を持つ能力もないのだろう。反対に、予備校やZ会の先生、ハミダシ者の不良中年高校教師なんかは、授業中に、白墨が砕け散ったくらいの熱がありました。誰のための勉強なんだよおい!って力説していましたね。
自分は予備校や塾などにほぼ通っていません。地元の予備校の夏期講習を一科目だけとって、あとは使い放題の自習室を時間ギリギリまで粘って使っていました。昔も今も、田舎の地方都市にはまともな塾もなかったのです。しかしながら、それは、「頭が良いから、塾に行かなくても京大に入れた」と言われるわけではなくて、そんなのは関係なく、子どもの時、特に小学校のときの教員がすばらしく、全力で遊んでいたことが良かったと思っています。学校でも職場でも、おかしな指導者や上司や先輩がいるときには、著しく成績が悪いものです。
さて、今、子どもを塾に通わせようとする親が多い。話を聞いていると、みんな勘違いをしているように思う。「自分が良い学校に入れなかったのは、環境が悪かったから。ちゃんと教わっていれば、勉強ができていたはず」。このように自分の能力不足を「昔の教育環境」のせいにし、今、子どもを塾に通わせる。運動でも芸術でも、才能の差はあるのだから、学術でも差ができるのは仕方がなくて当たり前です。そして、大人になって収入を得るには、得意な技を生かせば良いだけのこと。
放課後にまで塾で習ってしまったら、「学習」ではなく「習習」になってしまう。大人だって、仕事のあとに、別の仕事をしたら疲れ切ってしまう。昔は、同じように遊んでいるなかで、勉強に向いた奴が地方の公立の名門校に進学した。それが本末転倒し、名門校に入ることが目的になってしまった。塾で、受験問題を解く特殊技術を習い、良いと言われる学校に背伸びして入ったとしても、もはや、伸び代は残っていないだろうに。出がらしの緑茶のようなもの。塾で「短時間で答えを出す」訓練をしてしまっているから、学生が志望する職種は「評判が良く、裕福になれる」ような医者・シンクタンク・投資ファンドに偏る。この世に存在しない物を生み出すような職場には近寄ろうともしない。それこそが、「技術立国」だった日本の低迷の原因だろうに。
自分は塾では習っていないけれど、大学時代に家庭教師や塾で教えたことはある。収入を得るためで、それなりに懸命にはやったつもりではあったけれど、当時から、教えること自体は「無意味」だと思っていました。しかし、自学することの喜びを体得した生徒は驚くほど伸びました。好奇心がエンジンで、知識は燃料。動いていない小さなエンジンに、燃料は入らない。
半世紀近く生きていると、どうも役立つのは子どもの頃に遊んだことばかり。
これまでだいたい25年間、さまざまな著名な人や普通の人、市井の人にあって話を聞いた。「野山で遊んだ」思い出を語る人はたくさんいても、「塾に通った」経験を語る人はほぼ皆無でした。唯一の例外が武田塾の塾長だ。塾通いの反省から、「教えない塾」を立ち上げた。一日中、室内で、習っていたのでは、廃人になってしまう。放課後は五感を使って遊び、疲れて、食べて、寝て、頭が冴えている朝飯前に学ぶのが最善のはず。ということで、自分も子どものような生活を既に続けている。なので早起きしている、という話でした。