優しさという残酷

50歳になるイチローも言ってました。

〈「今の時代、指導する側が厳しくできなくなって。何年くらいなるかな。僕が初めて高校野球の指導にいったのが2020年の秋、智弁和歌山だね。このとき既に智弁の中谷監督もそんなこと言ってた。なかなか難しい、厳しくするのはと。でもめちゃくちゃ智弁は厳しいけど。これは酷なことなのよ。高校生たちに自分たちに厳しくして自分たちでうまくなれって、酷なことなんだけど、でも今そうなっちゃっているからね。(中略)

でも自分たちで厳しくするしかないんですよ。ある時代まではね、遊んでいても勝手に監督・コーチが厳しいから全然できないやつがあるところまでは上がってこられた。やんなきゃしょうがなくなるからね。でも、今は全然できない子は上げてもらえないから。上がってこられなくなっちゃう。それ自分でやらなきゃ。なかなかこれは大変」と様変わりした現代では、選手がより自身を律することが求められる過酷さを指摘した〉(2023年11月6日、スポニチアネックス【イチロー氏 「指導する側が厳しくできない」時代の流れ 「酷だけれど…自分たちで厳しくするしか」】より引用)

筆者の高校時代の顧問も言ってました。

先日、
「大学の推薦入試対策で面接指導をしてほしい。」
と言われて、対応しました。
ところが、いくつか改善点を指摘すると
非常に不服そうな顔をしました。
以前なら「あのね~」と
その態度から指導してましたが、
「そうだね。
これはあくまで私のアドバイスだから、
あなたがいいと思ったように」
と、それ以降は、ほどほどのアドバイスで
終了しました。
先日、遅刻してきた生徒がいて
理由に「家の事情」とあったので、
「何かあった?」
と聞くと、
「言いたくありません」
という返事でした。
以前なら「あのね~」
と指導に入るところです。
かつてこのような状況で
養父によるDVを語り始めた生徒もいました。
しかし
「ごめんなさいね。
プライベートなことを聞いて」
と遅刻の手続きを終了しました。
生徒のことを嘆いているわけではありません。
生徒は以前と変わりません。
教師の対応が大きく変わってきました。
「以前のほうが良かった」
と言いたいわけでもありません。
教師にとっては、
今のほうが断然ストレスも少なく、
達成感も得やすいように思います。
だけど
教育の「流行」の部分は、
社会のあり方を反映しますが、
同じ教室の生徒の中に、
大きな格差を生んでいるように思います。

そして、個人の意見

まあ、そういうことです。サヨクの弱者ビジネスが、社会から「厳しく指導する義務」を消し去り、次世代は「鍛えられる権利」を喪いましたね。これから100億人が繰り広げる生存競争で「鍛えられてない群」は淘汰されるのでしょうね。適度な狂気は成長の糧。教師にこんな態度取ったら張り倒されていた昭和から平成の生徒の私も、令和の今では私もあくまでよい大人、吊るし上げられないおっさんとして、個人的な意見と前置きしてゆっくりキレられないように言うようにしていますね。でもそれって本当の優しさとかじゃありませんから。自分の身を守るために、やってるだけですから。不服そうな顔をされたり不満の言辞が聞こえることもありますが、あくまで唯の造形であり音だと考えて気にしないようにしています。つまり、目の前の人を人として見ず物体か事象のように見ることだ、そこに人はいるのか、ということなのでしょう。幾つになろうと人間進化するものですが、他者他人からの厳しい指導を受けられなくなっている、優しさという残酷さの中にいて取り残される若い人たちについて、向き合っていないのではないかとも思うわけです。そりゃ少子化するわな。

おわり