51年綱領

襲撃を受けた岩之坂交番(1952年6月25日、東京都板橋区)

よく、80年前の大戦の記憶を忘れるな、とか左翼主義政党やその支持者のみなさんが叫びますよね。その同じ人たち、同じ党の人たちが、かつてやったことをひた隠しにしてなかったことにしている、51年綱領というお話をしてみましょう。筆者はこの話を、死んだ母方のじいちゃん(海軍従軍経験あり、朝日新聞購読者)から物事をあらゆる側面からきちんと認識しないといけないという趣旨で聞きました。じいちゃん、わたしにそういった健全な批判的精神というやつを教えていただきありがとうございます。こういう記事を書きながらじいちゃんの存在というのを身近に感じて生きています。

さて、51年綱領です。これは、かの平和主義を掲げる日本共産党が、どの口が言っているのでしょうかというやつです。
詳しく説明します。出典は、なんでも教えてくれるフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』です。

51年綱領(51ねんこうりょう)または51年テーゼ(51ねんテーゼ)とは、1951年(昭和26年)10月の日本共産党第5回全国協議会(五全協)で採択された綱領『日本共産党の当面の要求 – 新しい綱領』のことである。
五全協は当時の党主流派であった所感派主導のもとで開催され、「日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」と記載した本綱領と、同時に「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする『軍事方針』を採択した。これらは暴力革命必然論に基づく武装闘争方針であり、この方針に基づき警察襲撃事件が相次いだ。
第25回衆議院選挙で候補者全員の落選を招いたため、日本共産党は「一つの重要な歴史的な役割を果たした」と評価し、これを廃止した。その後も綱領集に掲載されるなど、正規の旧綱領・旧方針であったことは30年以上にわたり公式に否定されていなかったが、1993年6月25日のしんぶん赤旗2面で『51年文書』と格下げ表明して以降、日本共産党は正規の党綱領であった過去を認めない姿勢を採っている。

いかがでしたでしょうか。賢明な令和の読者のみなさんに評価は委ねたいと思いますが、どのような組織も国家も、その立場を受けたポジショントークをしている、と見ればよく、特段、この政党だけがそういうものではない、ということがわかると思います。まあ、極端な例ではありますが。
51年綱領、とっても元気いっぱいな文書のご紹介でした。ちなみに、筆者の実父は、都道府県警察官、でした。

以上です。