自分で考えてはならない組織

軍隊や警察

今日は入社式や入学式ですね、みなさんおめでとうございます!わたしの父と母方の祖父のキャリアは「隔絶された施設でただひたすら行進訓練」からスタートしました。上官からは「ここを刑務所という者もいるが違う。刑務所の人には人権がある。お前たちには、ない」と言われました。祖父は海軍航空隊、父は国家公安委員会福岡県警察、です。

いまの令和の世の中的にはパワハラなのか何なのかわかりませんが、そんなのはどうでも良く、「服務宣誓」とはそういうものでした。一度足を踏み入れたならば、抜けるのにもそれなりの覚悟を要します。

〜事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。〜

宣誓書の中にこういった一文があります。要するに、公のため、国のため、国民のために身を献げるという覚悟を宣言するわけです。国民の中には自らの存在を全否定してくる者も当然に含みます。

このように、私のご先祖さまは、特に人命救助や国家防衛のために尽くした人も多いため、このような感覚にあまり、というか全く違和感を持つこともなく受け入れてましたが、こういうのをけっこう戸惑う人も多いようです。

ちょっと堅苦しい文章になってしまいましたが、なんのお話かというと働く組織によって、規則やマナーも違うし、それで良いという内容です。

祖父や父は、自律思考など必要とされず、ただひたすら命令を実行するための教育研修かわいがり、そして暴行暴力鉄拳制裁連帯責任、を受けました。ではそのように、何も考えないマシンになったのかというとそうではありません。むしろ、生半可な民間企業のものより、物事の本質や真の目的に迫った思考を持ちえたのではないかと思っています。

このような戦闘力高めの方々が民間企業に転じて戸惑ってしまう、「なんで誰も指示してくれないの?」というのは、上官や組織が、それなりに機能していたからこその戸惑いなのかもしれないのです。疑問を持つことを許されない組織に所属することが、即疑問を持たない者を作り出すわけでは全くないということであります。

新たな門出を迎える方々にお伝えしたいことは、とにかく慣れるまで大変やろうけど、慣れろということです。晴天で暖かくて新たな門出としては最高な始まりです。改めておめでとうございます。

おわり