権利とは

戦争による権利損失

原判決たる東京高等裁判所が憲法29条財産権の保障を定めている同条前段において肯認し、上告理由においても当然の前提として主張するところの、在外資産の喪失に対しては、国において補償をなすべきものとする前提そのものを認めることができず、したがつて、憲法二九条三項の趣旨について判断するまでもなく、上告人の主張は、その前提を欠くものとして、排斥を免れず、原審の判断は、結局、その結論において、正 当として支持すべきものとする。

その理由は、次のとおりである。 わが国は、敗戦に伴い、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印し、連合国の占領管理に服することとなり、わが国の主権は、不可避的に連合軍総司令部の 完全な支配の下におかれざるを得なかつた。わが国は、いわゆる平和条約の締結によつて、この状態から脱却して、その主権の回復を図ることになつたのであるが、 同条約は、当時未だ連合軍総司令部の完全な支配下にあつて、わが国の主権が回復されるかどうかが正に同条約の成否にかかつていたという特殊異例の状態のもとに締結されたものであり、同条約の内容についても、日本国政府は、連合国政府と実質的に対等の立場において自由に折衝し、連合国政府の要求をむげに拒否すること ができるような立場にはなかつたのみならず、右のような敗戦国の立場上、平和条約の締結にあたつて、やむを得ない場合には憲法の枠外で問題の解決を図ることも避けがたいところであつたのである。在外資産の賠償への充当ということも、この ような経緯で締結された平和条約の一条項に基づものにほかならないのである。 ところで、戦争中から戦後占領時代にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあつては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産の犠牲を堪え忍ぶべく余儀なくされていたのであつて、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかつたところであり、右の在外資産の賠償への充当による損害のごときも、一種の戦争損害として、これに対する補償は、憲法の全く予想しないところというべきである。

何でもかんでも権利として主張することはできない。最高裁判所の判決、大法廷判例です。ことを起こすには責任を伴う。その決断を冒涜するがごときの自分のみ助かろうとするそのさもしい精神こそ断罪されるべきものではないかと、わたしは考えております。何でもかんでも権利主張すれば良いということはありません。比例して人格の高潔さや評判そのものも犠牲になっていること、今一度振り返った方がよろしいでしょう。独立を勝ち取ったアジアの同胞諸国や後世の歴史家に笑われる前に。

先日インドネシアの知己と会食に臨んで話し合い、大いに考えさせられた話です。

以上