(2019/10/24)変えるべきところと変えない方が良いところを見分けるのが経営の才能だと思う話です(松下電器グループの話)

松下電器グループ(1985年)

おはようございます。

企業のイメージ戦略に関する(昭和後半生まれ45歳の)筆者があくまで個人的な意見を自らの発表の場で述べて配信しようとする独善的な記事です。

昔、松下電器産業という大きな会社がありました。

松下幸之助という、不正出の「経営の神様」と呼ばれた人が作り上げた日本の家電業界のみならず日本のお茶の間全体を牽引する、まさにスーパー企業でした。

国内ブランドはナショナル、海外ブランドはパナソニック、という二つの商品ブランドを作り上げ、それとは別の上位概念としての企業グループとして、「松下電器グループ」を標榜し、松下電器産業を大親分に、松下電気工業、松下通信工業、松下電子部品、松下住設機器、松下産業機器、松下電池工業、松下電器貿易、松下冷機、九州松下電器、松下精工、松下寿電子工業、松下電送、などを傘下に有し、「技術で拓く世界の繁栄」を企業理念(旗印に)、世界中に国内・海外510社を展開する、一大企業グループ(1985年当時)として君臨していたのです。

筆者も、英語教材として親しんだ、「家出のドリッピー」シリーズの上級編、「追跡(The Chase)」の主人公は、日本の財閥グループ「松本インダストリー」の御曹司が数奇な冒険を経て成長するという物語なのですが、明らかにこの松下電器グループをイメージしているのです。

米国のトップ作者のシドニィ・シェルダンの書き下ろしという英語教材で、かつてブームになりましたが、このストーリーのプロットにもなった世界の松下電器グループ、大阪から世界を制覇したあのスティーブ・ジョブズも憧れた、「自由闊達にして愉快なる理想工場」ソニーに並ぶ日本の家電メーカーの面目躍如の存在だったのです。

しかしながら、海外ブランドの「パナソニック」の名称に企業名も統一してから、どうも筆者には馴染みが薄くなってしまいました。

「ナショナル」ブランドの乾電池をよく買いに行っていた昔が懐かしいです。

さて令和元年の10月、同じように、日本の老舗かつ先端サービス企業が古いブランドを一気に変えるという記事が飛び込んできました。

「宅急便」という商標ブランドを持つ、国内宅配事業首位のヤマトホールディングスが2019年11月29日に旧社名の「大和運輸」から数えて、創業100周年となるのを機に、グループの「クロネコ・シロネコ」のキャラクターを実に28年ぶりにリニューアルすると発表したのです。

このリニューアル後のキャラクターが、何だかユニセックスな感じで、今までの、ちょっと空回りのオスのクロネコと、化粧とつけまつげの濃い感じのメスのシロネコという、インパクトのある愛されキャラクターに取って代わってしまうということで、筆者のような旧守派としては、そこ変える?もっと変えないといけない(従業員の待遇とか宅配のシステムとか)部分があるのでは?と思った次第で、松下電器がパナソニックに変わった時と同じような感覚を覚えてしまったのです。

名残惜しいので、リニューアル前の、クロネコ・シロネコのキャラクターについても、念のためアップしておきます。

アマゾンの通販サイトの写真からの転用です。

クロネコヤマト「シロネコ・クロネコ」2019年11月まで

その昔、JALが「鶴丸」という世界に通用した日本の鶴のマークをやめて、特徴のない「JΛL」というような、ロゴにしたことがありますが、これなどは、「ジェイ、(ギリシャ文字の)ラムダ、エル」としか海外の人たちは読めずに???となっていたところ、経営破綻を経て結局また鶴のマークに戻してことなきを得た、ということがありました。

これと同じように、ロゴや呼称というものは、その企業のものだけではなく、利用する顧客や関係者にとっても大切な資産であるということをよく考えて、できるだけサービスの「中身」をよくする方向に使った方がいいのではないかと改めて思いました。

ちなみに松下幸之助さんは、尋常小学校を4年で中退し、9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出された、徹底的な現場主義の方であり、本社の奥まった会議室の中で、広告会社が持ってきた「イメージ戦略」なるプレゼンを聞くだけで会社ロゴや会社キャラクター変更という一大事を「(個別の役員は無答責であろう)合議制で」何となく決めてしまうような愚かなことはされなかったであろうと、「愚考」しております。

筆者の拙い経験で恐縮ですが、かつて1902年、日露戦争後の重化学工業部門の資金不足を解消すべく、日本政府保証の下ロンドン市場等で、外債を発行し、国内重工業への融資を行う調達のために設立され、戦後は高度経済成長を牽引したかつての国策銀行、日本興業銀行という銀行の100年の歴史の最終盤に入行し、その2002年の終焉まで付き合い、看取ることができたことを密かに誇りに思っております。

最後に、

「あっかるーいナショナル、あっかるーいナショナル、みんな、うちじゅう、なーんでも、ナーショーナールー」

という宣伝文句が、耳の音にこだまするくらい、テレビCMが流れていた、そんな昭和の時代を少年時代に過ごした筆者からの昭和時代の回想記事は以上です。

(2019年10月24日 木曜日)

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(2018/09/02)外側に責任を求める他責思考と内側に責任を求める自責思考について書いておきます(松下電器創設者の松下幸之助さんの言葉)

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