新型コロナウィルスに関する人間社会への「影響」について考えたこと(エッセイ)(2020/02/21)

おはようございます。

2020年2月、新型コロナウィルスの日本上陸に関する記事です。

不要不急のイベントを避けて、というのが曖昧です。

新型コロナウィルスが日本のいわゆる成長戦略やら人間社会そのものに影響するのを見るのが辛いところです。

人間の生産活動や消費活動、これ全て人間が社会的動物であるとアリストテレスが定義した通りでして、その私たちが、知らない人がある程度の密度で集まるところには行かないで、となれば、飲食店、小売業、交通業、それから全てのイベント関係の企業や業者などは、本当に、単に売り上げが0円になってしまう以上に、その中止の告知や対応に駆け回らないといけないという、めちゃくちゃな状態になってしまっているわけです。

これは、災害が起きたので自粛しましょう、みたいな話よりより問題が大きく、新型コロナウィルスは特効薬のワクチンもまだできてないから大変だ、自覚しろ的な貴重なご意見もありますが、では、生活かかっているそうした人たちに対しても、何の救済措置もないまま、そんな「自己責任で気を付けろ」「主宰したイベントで感染者出たら社会的制裁うけるのお前らだから」的な言いっぱなしの風評被害をうけるだけの弱者に対しての救済的なものって、ないんでしょうかと考えてしまいます。

通勤しない、テレワークで自宅から仕事、っていったって、買い物も食べ物も、ウーバーイーツとか、アマゾンの宅配、とか言ったところで、その配達の人はてんてこまいになっているわけですし、全てを人との接触ないまま、外出しないまま過ごすのなんて、そんなの無理だし、そもそも絆!とかつながる!とか連帯!とか普段はそういうことを言っていた人ほど口をつぐみ、そもそも子供の学校やプロ野球の観戦とか、全面やめて、全員が無観客試合をYouTubeの有料動画で応援するとか、そこまでいってしまうと、むしろそうしたストレスの方で病んでしまう人も多くなってしまうのではないかと思いました。

今朝も、乗合バスに乗りましたが、乗客皆下を向いて、咳払い一つせずに、さらにつり革を掴んだ手を顔の近くに持っていかない、手洗いうがい栄養睡眠!みたいな異様な光景に、ちょっと耐えられなくなってしまった筆者は、途中で降りてあとは歩いて職場に向かったくらいです。

人間、120年程度の期間を経過する中では、致死率ほぼ100%のはかない生き物でありまして、例えばインフルエンザでも何でも、予防接種してもかかるときはかかるものですし、マスクがない、もしくはマスクをしていてもかかるときはかかる、とか言われてたら、それはもう、各個人の自己判断で行くしかないと思うわけです。

どんな状況になっても、プロとして、もしくは一個の人間として、誰かか自分のために、外へ出ないといけない人が、出来る限りの対応をしたけれども、それでも防げないことは普通に起こってくることであって、そういった場合においてもそんな感染経路を防げずに封じ込めることができなかった、という、結局、誰かのせいにして皆で責め立てて騒ぐという民心の離反や人間性の欠如みたいな方が、新型コロナウィルスの直接的被害より、もっと直接的により心配であります。

人が死ぬ直接的な原因だったら、新型コロナウィルスより、よほど常習的に吸われているタバコや、その副煙流を吸わされている周囲の家族とか、公共の場や道路で吸っている煙を飲み込む方や、麻薬による被害などの方がよほどあると思うのですが、それについての言及とか、例えば自殺者や交通事故による死者を減らそうとか、そういった、他の死に繋がる事象の押さえ込みには依然として普通のこととして大した興味ないまま、トレンドの新型コロナウィルスのことだけにやたら目くじら立てるのは、人間として少々みっともないし、やるべきでもないと思っています。

誰かが誰かを危機感ない!とか、嘘ついて!とかって煽ったり責め立てたりするより、やはり日頃から、新型コロナウィルス以外の、健康についてや長生きするためのいろいろな予防に関する意識、健康の維持のための生活習慣、そもそも脳や精神の怪我を防いで楽しく過ごすための振る舞い方とか、そういうことのために、わざわざみんな小学校から高校、大学までいっていい教育を受けてきたのではないかと思うわけでありまして、こういう体験したことのない場合についてこそ、直接的反応的にならずに、よく考えた言葉や態度を示すべきではないかと思うのです。

教育の根本というのは、こうした想定していないことが起こった時にどう振る舞うかということであり、答えは一つではなくて、起こったことに対する自分なりの責任の取り方を含めてそれぞれが主体的に考えること、他人の意見はもちろん参考にするけれども、知恵を出し合い、自分でできるだけの対処対策をした上で、できるだけお互いに協力しながら、それぞれができるだけ自由に暮らせたらいいと思っています。

他人の人権に配慮するのと同じ程度に、自分の人権や自由意志というものを自分が尊重して初めて社会的に対等であるということだけは、25年ほど前の昔々の大学法学部での憲法という講義で習いまして、このことは筆者の行動指針になっております。

コロナウィルスに限らず、人間それぞれが幸せに過ごすためにはどのようなことに気をつけていけばいいか、引き続きウォッチして行きたいと思います。

こちらからは以上です。

(2020年2月21日 金曜日)

(2019/12/21)ウィルスという生物と無生物との間にある不思議な存在について述べます(文系向け)