(2020/03/27)東京大阪の新幹線の車内が新型コロナウイルス感染症予防のための社会的距離をとったことにより完全貸し切りとなったことについて
おはようございます。
写真は、大阪から東京に向かう新幹線の車内です。
清掃中ではなく、運行中のある車両です。
各企業や団体や家族単位での、ビジネス上プライベート上、教育上のさまざまな「移動」が、これほどまでに抑制された世の中を、我々は生きています。
これでは、旅客会社は、蒸発した売り上げの上で空気となった乗客を運ぶ、ただの固定費の箱となってしまった列車や電車や客船や飛行機、高速バスというビークルを持て余し、いずれ進退窮まってしまうでしょう。
もはや精神的には、明治維新のはるか昔にさかのぼり、幕藩体制の時代、全国に264藩あったといわれる各所の大名の領地レベルでの小さな経済単位でやりとりを行うといったところまで戻ってしまったような感じです。
ちなみに、江戸時代の藩といいますと、大きなものでは加賀前田家(石川県金沢市)が100万石でトップなのは有名ですが、20万石以上の藩は22藩しかなく、これは全264藩のわずか8%にすぎません。
そして、江戸の将軍(征夷大将軍)から判物の領地目録がいただける10万石以上に限っても49藩であり、18%です。
これに対して一番多いのが1万石から2万石の藩で85藩、全264藩の32%にあたりますから、ここだけで全体の3分の1近くを占めていることになります。
ですので、江戸時代においては、江戸とか大阪とか京都とか金沢といった、大都市のほうが珍しく、ほとんどの藩は、1万石から5万石程度の、小さな生活感のあるコミュニティであったと思われます。
また、将軍家から1万石以上の領地を拝領しているのが大名でその領地を藩と名乗ったわけですが、それ以下のものは、「旗本」と呼ばれます。
大名だけが「藩」を作ることができる訳ですが、そもそも「藩」という名称自体は、公称ではなく、歴史用語として使っています。
ですので、「藩」とは呼ばれない旗本の領地についても、それはそれでおそらく独立した経済圏であったと思われますので、実は、江戸幕府の幕藩体制下の日本は、かなりの小国乱立状態でもあった、と言えるのです。
ここまで一気に戻ることはないかもしれませんが、少なくとも、移動の自由が事実上著しく制限されているこの時代にあっては、人々の意識も、急速に土着化していくことが考えられます。
いまだ、新型コロナウイルス感染者の報告者がいない、鹿児島県は、77万石の国内第二位の石高を誇る島津家が統治していましたが、このコロナウイルスも撃退する国の強さは、案外こんなところから来ているのかもしれません。(注)
こちらからの雑談は以上です。
(2020年3月27日 金曜日)
(注)本稿をアップして間もなく、鹿児島県においても新型コロナウイルス感染者を確認した、という鹿児島県の発表を筆者も確認いたしましたので、上記につきましては、謹んで訂正いたします。