劉備玄徳の母は令和の今ならパワハラと言われるのだろうかという話(2021/02/21)

▼『蒼天航路』(原作・原案 李學仁、作画 王欣太/1994年10月〜2005年11月)という漫画があります。これは、当時ネオ三国志という銘打たれた青年誌の漫画であり、私も大学生時代に艇庫に併設された合宿所で、日がな一日同期が買い求めてくれた漫画たちが散乱するだだっ広い30畳くらいの部屋の布団の上でごろごろしながら、読んでおりました。私が、人間というものに興味を持つようになった、いちばん好きな漫画といえます。漫画としての絵やストーリーとしても秀逸ですが、何より舞台に上がる人物たちの台詞が心に迫ります。

▼ということで、この漫画の一番好きな台詞は、主人公曹操の一の軍師にして魏国の智謀といえる荀彧文若(じゅんいくぶんじゃく)が放つものです。

荀彧文若! ついに
あらいゆるものを見聞し
頭の中に天下をおさめて
しかもそれらをすっかり忘れて
戻ってまいりましたあーーッ
(第6巻・その七十「郭嘉と荀彧」より)

これは、少壮のころから天才ぶりを世に示してきた荀彧が、高みを望み中国全土の旅を終え曹操のもとに帰ってきたときのものです。すっかり収めて、そして忘れ去る。こうして荀彧は過去のしがらみや知識にとらわれず、自由で伸び伸びとした発想発言を行い、王佐の才の本領発揮となります。

▼そして、稀代の天才としてことをなすには、身体の頑健さも必須であると考えるようになりました。日本古代史に輝く弘法大師空海、にしても、近世日本の思想家の星である吉田松陰先生にしても、自らの足で踏破した距離は、筆者などの常人を遥かに超え、感覚的には「月に行く」レベルの大規模な長征を行っています。もちろん、西域(ガンダーラ)の経典を得るため、その人生の殆どをシルクロードの旅に投じた三蔵法師こと玄奘やマルコポーロといった偉人もいますが、自らのご先祖様にはこのようなものすごい頑健者がいたのだということを知っておくだけでも、これからの人生が豊かになる、かもしれません。

▼ところでそもそも三国志は吉川英治版が一番好きな筆者ですが、保守本流の劉備玄徳主人公のストーリーでは、のっけから親孝行とはなんぞや、というお茶を巡る話から始まります。曰く、ムシロ売りの貧しき青年劉備玄徳は、当時高価だったお茶を、愛する母に買ってやるため、必死でお金を貯めます。苦労の果てに劉備はほんの少しのお茶を手に入れますが、その帰途、そのお茶と父祖伝来の剣を賊に奪われてしまいます。幸いにして武勇に長けたある男(関羽とか張飛とか)の助力で、剣とお茶をとりかえしてもらいますが、劉備はその男たちに、礼として、父祖伝来の剣を渡してしまいます。そこまでして守りぬき、持ち帰りましたお茶でありましたが、劉備の母は、それが父祖伝来の剣を犠牲にしてもたらされたものであることを知ると、なんとそのお茶を瓶ごと川に投げ捨て、劉備に「漢の帝王の子孫たることを忘れてはいけない、今の生活に甘んじるな」と説教します。これは、令和の今ならパワハラ系のコンテンツになっております。

▼ところで、忘れるということは別に悪いことでもなんでもない、と考えております。嫌なことを忘れるというのは立派な能力ですし、改めて学びなおしてやっぱり日本の憲法秩序はよくできているなあと感じることができれば、それはまた適度に忘れたことによる僥倖ではないかとも思うわけです(筆者は法学士で、大学生時代、唯一の「優」をいただいたのが、佐藤幸治先生の「憲法」だったのです)。

▼重要なインプット項目については、適宜メモやこのブログに書いておき、脳髄のメモリから削除されても、振り返って外部記憶装置からまた新しい発見につなげることができるかもしれません。