天皇の生前退位(約200年ぶりの譲位)で憲法改正は必要か(憲法の勉強から天皇位の取り扱いについて)(2016/08/24)
おはようございます。
記事執筆現在は平成28年8月です。
たまには真面目な話をしたいと思います。
天皇陛下が事実上の生前退位のご希望を述べられてから数週間経過しております。
無論、「憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(憲法第4条)と定められている以上、個人としての所感を述べたに過ぎないという建前ですが、現天皇として、その職責を誰よりも果たして来られた現時点で唯一の方が異例中の異例として、国民に対し広くビデオメッセージを発せられたことは、国民として重く受け止めるべき話です。
日本国憲法は、その第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と高らかに謳っています。
この地位を、象徴天皇制という地位を、切れ目なく果たしていくための制度手当てを強く求めたいという天皇陛下の強いご意向です。
われわれ国民は、天皇陛下という対象に「聖なる存在」として国民を励ましたり、包み込んだり被災地をお見舞いしたりパラオやサイパンや沖縄といった戦中の激戦地を慰霊されたりといった重い役割を誰よりも期待する一方で、天皇陛下ご自身がどのような問題を抱えているかという点については、非常に鈍感、もしくは問題を認識していても日本人お得意の先送り「今、ここで決めないといけないの? by 映画シン・ゴジラ」で済ましてきた面があるのです。
一個人に対し、聖なる絶対超越的な存在であることを求めるということは、その存在に、政治的(人間的)発言を一切制約するという基本的人権の侵害と表裏一体です。
天皇陛下に職業選択の自由はなく、即位を、公務を拒むことはできず、即位した以上は退位もできず、亡くなるまで自由になれない、天皇という象徴の地位を全うすることを、国民が期待しつづけるという「恐ろしい」実態があるわけです。
これがブラック職場といわずして何でしょうか。
これまでは先の昭和天皇や現在の今上天皇がそういった理不尽な立場を甘受して、粛々と公務にいそしまれてきたからこそ、そのような問題は大多数の国民の目には触れてこなかっただけです。
ようやく日本国民は自ら持つ憲法と向き合うことになるのか
しかしながら、ここでようやく、外国船の来航でわが国が開国した如く、日本国民もその意思をもって、憲法第1条にいう「国民の総意」による象徴天皇制とは何かをもう一度考える必要があるのではないかと思うのです。
生前退位に憲法改正が必要かという論点は、この国民の総意の解釈如何にかかっていると思います。
そして、そのような国民の総意の発露形態として、憲法自体の改正以外に予定されているものはないのかといった前向きな議論に進んでもらいたいと思っています。
いたずらに憲法改正が必要であり手続き論を延々と議論して前に進まないといったようなことになりますと、危急かつ具体的解決策を待っているであろう天皇陛下をこれ以上失望させるようなことになってしまいかねません。
そういうのにはなってほしくないなと思うものです。
政府には、天皇の助言者として、この問題に正面から取り組んでいただき、御用学者の法律解釈論を延々と続けさせてお茶を濁すのではなく、深度ある明確かつ簡潔な議論をのぞみ、国民の前に堂々と提示してもらいたいと思います。
現政府は、内閣法制局等の見解にのっとり、現在の天皇陛下に限り、特例法の制定での生前退位の道を開く方向で調整しているとの報もありますが予断を許しません。
本件については、しっかり見極めて、必要に応じて意見を出していきたいと思います。
学生時代、専門科目「憲法」だけはぎりぎり優等な成績を収めた筆者からは以上です。
(平成28年8月23日 水曜日)