馬鹿の語源
中国故事の馬鹿(ばろく)、日本語ではバカの語源はここからとられています。
始皇帝亡き後の秦王朝では、二世皇帝の後見人の立場にあった宦官である趙高(ちょうこう)が宮中において絶大なる権力を振るうようになり、自らの意見に逆らう者をことごとく処刑して排除していくという恐怖政治を敷いていくことになります。
この趙高は、中国史上一二を争う悪臣として有名ですが、この趙高が自らの権力の大きさを廷臣たちに見せつけようとして、二世皇帝胡亥の前に一匹の鹿を連れてきて献上して、
「これは馬でございます」
と言い放ちます。
二世皇帝胡亥は、これは何の冗談かと笑って、周りの臣下の者たちに、
「これは鹿ではないのか?」
と尋ねることになるのですが、
これに対して、多くの人々は、趙高の権勢の大きさを恐れて、
彼の意見に黙って従っていれば問題ない、やり過ごせると考え、
「いえ、馬に相違ありません」
と答えて、その鹿は馬とされたまま皇帝へと献上されてしまうことになるのです。引用元
このように絶大な権力を手中に納めた趙高は、秦帝国の建国に関わった人間を粛清して、始皇帝以上の圧政を民衆に敷くことになります。
だが、帝国秦の弱体化は甚だしく、秦の喉元には項羽と劉邦率いる楚漢連合が迫ります。
焦った趙高は今まで利用していた胡亥を自殺に追い込み、今度は始皇帝の孫であった子嬰(しえい)に擦り寄りますが、英邁なる子嬰は逆に趙高を誅殺して、項羽と劉邦に秦国を差し出すことになるのです。
人間、何千年経ったとしても、その本質はあんまり変わらずバカなことをしているもんだと思います。
バカと同じく日本語として古くから定着しているアホ、阿呆の語源も同じ秦帝国の時代の皇帝の別荘である阿房宮造成を揶揄したものですが、その話はまた今度したいと思います。
以上