(2020/02/06)奈良時代の天平文化の「天平」年間には派生した珍しい4文字の年号が続いたという日本の歴史の小話です

祇園祭(京都)

おはようございます。

2020年2月、令和2年のこの現代に、かつて日本で施行された、4文字の珍しい年号があったという話をさせていただきます。

いわゆる聖武天皇で有名な平城京という都に花開いた天平文化の期間は、日本の年号として制定された、天平(729-749)天平感宝(749)天平勝宝(749-757)天平宝字(757-765)天平神護(765-767)神護景雲(767-770)という、天平を冠した珍しい4文字年号、いわゆる天平デリバティブズ、天平5兄弟+神護というくくりで覚えてもらいたい年号たちであり、この6年号分の期間をまとめて、天平時代と称します。

神護景雲より、宝亀(770-781)で、元の2文字の年号に戻され、現代の令和に至るまで、この漢字2文字の年号が続いているということになります。

この、天平という年号が、あまりにも人口に膾炙した結果、その後約20年のあいだに漢字4文字の元号が立て続けに5代にわたって登場したのです。

特殊な例ではあるものの、「日本の元号イコール絶対に漢字2文字」というわけではないのです。

ちなみに、現在の日本には元号法という法律が存在しますが、ここにも字数に関する規定はないものの、実は、元号選定のやり方について具体的に定めた「昭和54年10月23日閣議報告」(1979年)というものがあり、この中には「(元号は)漢字2字であること」と記されているのです。

このため、現在の令和も、見慣れた2文字のものになったというわけです。

この、天平文化の天平、奈良の平城京に京都を定めた聖武天皇の時代があまりにも印象が強かったため、OSソフトの全面アップデートをしているのにもかかわらず、例えば名機Windows98の後継機に、Windows98−02と安易につけてしまったりすると、このような4文字でわかりにくくて後世の人たちを混乱させてしまう原因になるということなのかと思いました。

なお、奈良時代と称して、平安時代と称します。

「平城」時代とは言わず、「京都」時代とは言わないわけです。

奈良時代とは元明天皇が平城京に遷都した710年から、桓武天皇が平安京に遷都した794年までの時代を指します。

さらに、平安時代とは平安京への遷都の794年から鎌倉幕府成立の(元々の通説である)1192年までを平安時代と言うことが多いです。

平安京が都であるのは変わりませんが、坂東武士の本拠地である鎌倉に、武家政権である源氏の幕府が成立し、実質上の権力の移動が起こったというわけですので、それまで「一貫して都」であった平安京の名前を取って平安時代としました。

しかし、奈良時代においては、始まりの710年に平城京へ元明天皇が遷都されたところは良いのですが、その後、740~745年の間に、恭仁京、難波宮、紫香楽宮、平城京という具合に聖武天皇がぐるぐる移動され、そうして、784年に長岡京へ桓武天皇が移られたところからの、ようやく794年に平安京に腰を落ち着けることになった、という終わりの方に多様な都への連続した遷都が起こったため、全ての時代を平城京時代とは称することができずに、位置的な「奈良」という名を冠した「奈良時代」という理解をすることで落ち着いたようです。

日本史の古代においては、年号といえどもなかなかルールが定まっておらず、いろいろと試行錯誤していたのでしょう。

せっかくこの小話を読んでいただいた皆さま、とにかく、729年から全5回プラス外伝1回の「天平」シリーズ開始、と覚えていただければ幸いです。

こちらからは以上です。

(2020年2月6日 木曜日)

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