日本の歴史的弱点

1999年に変更されています

日本においては歴史的にリーダーシップが不在と言われます。

さて、日本が第二次世界大戦で敗れた理由を深堀りしてみましょう。

一般には、

「航空機が主力の時代に、大艦巨砲主義にこだわったから」

「物量に勝るアメリカにそもそも勝てるわけがなかったから」

などと言われ、なんとなく納得しているのが今の人たちの感覚です。

しかしながら、昭和中期以降になされたこの手の論説は、あまり正しくないのではないかと最近の筆者は思っています。

これでは、ではなぜ海戦当初より半年間、日本は連戦連勝だったのかの理由にならないからです。

実際に、海軍で従軍した筆者の母方の祖父とその手の話を多くした孫でしたが、どうもそこは明確ではなかったです。

実際に日本は、1941年12月の開戦から1942年6月のミッドウェー海戦までの半年間、陸に海に空に米英軍を一方的に破り続けています。

世界最新鋭かつ最高度の航続距離を誇る、零式艦上戦闘機を始めとした航空機の練度・運用はアメリカ軍、イギリス軍を圧倒し、「これからの戦争は航空機で決まる」というパラダイムシフトを世界に引き起こしたのは、むしろ日本だったのです。

ハワイ真珠湾まで、長駆数千キロを経て、無電封鎖の中、正規空母6隻に400機以上の戦闘機と爆撃機を満載し、そしてそれらを秘密裏に飛び立たせ、魚雷を満載して、敵太平洋艦隊の本拠地に大奇襲攻撃を仕掛ける、こんな離れ業をやる国、後にも先にもほかにありません。

世界は、そのことを知って、目をひん剥いて驚いたのです。

ではなぜ、そんな「先駆者」として成功した日本は、わずか半年で戦争の主導権を失い惨敗したのでしょうか。

それは、押し込められた米軍によって、あの大戦によって、かの国は戦争というものの概念そのものを、それまでとは全く別の物に変質させてしまったことが大きいのです。

すなわち、それは、戦争の消耗戦化であり、システム化であり、言ってみれば戦闘自体の事業化・作業化といっていいものです。

開戦当初、日本の航空戦力に敗戦を重ねていた米軍はすぐに、従来の空中戦の戦い方で日本軍に立ち向かうことを全面的に禁止します。

つまり、戦闘機で空中戦(ドッグファイト)はやりません、と宣言するのです。

そして、すぐに、速力に勝る新しい戦闘機(グラマンF4Fワイルドキャット、グラマンF6Fヘルキャット、グラマンF8Fベアキャット)を開発し次々に実戦投入し、そして、ゼロ戦を見つけたら、彼の上位に張り付いて、急降下ざま、「後ろから食いついてすれ違いざまに撃ってそのまま逃げる」というセコい戦い方を採用しました。

練度は必要ないのです。

零式艦上戦闘機の強みは、小さい旋回半径で相手の後ろを取って機銃で撃ち落とす「格闘戦」だったのですが、そもそも速度に勝る相手が後ろ情報から急降下してきてすれ違いざまに撃って逃げるのであれば、全く「戦い」ようがないのです。

なおかつ米軍はこの新型戦闘機を、エンジンパワーにものを言わせ、敵弾が命中しても簡単に墜ちない重厚なゴム張り防弾仕様に仕上げてしまいました。

つまりゼロ戦からすれば、追いかけても追いつけない相手から一方的に「撃ち逃げ」され、しかも相手に命中しても敵はビクともしない仕組みを作り上げられてしまいました。これでは、万事休すで、数々の格闘戦で数々の戦功を挙げてきたエースパイロットも次々に撃破されて当然だろう。

同じようなことは陸上戦でも起こりました。

日本の進撃は南太平洋のガダルカナル島で止められたが、ここは太平洋戦争屈指の激戦地の一つだ。

そしてこの島で日本軍は、病死を含む5,000名以上の餓死者を出しているが、米軍はたった一人の餓死者も出していない。

現代の常識から考えれば当然だろうが、米軍は戦闘を行う際、互いの戦力、予想される戦闘期間、相手の装備などから考えて十分な戦力・資材を予め見積もってから局地戦を仕掛けた。

さらに米軍は、この最前線の戦場でも「交代制で勤務」し、日曜日にはアイス片手にテニスに興じる姿を日本軍が目撃しているほどだ。

つまり米軍にとって戦争とは、まるで工場で工業製品をつくるような「事業」になったということです。

すなわち、練度の低い工場労働者でもできる作業ベースに、事業を細かく分担して、アウトプット(目的)から逆算し、正確な見積もりをもとに工程表を示し、その上で「従業員(戦闘員)が働きやすい職場づくり」をしていたわけです。

「アメリカは物量で圧倒していたから、それができたんでしょ?」と思われるかも知れないが、それは違います。

アメリカはもともと移民の国であり、軍に入るものは「他で働けなかった食い詰めもの」というのがこの時代の常識でした。

要は、読み書きもまともにできない新入りに武器をもたせ、戦力化する必要があったということです。練度も低く、戦闘機も「適当なその辺の兄ちゃん」を育成・量産して日本軍の熟練パイロットを破る必要があり、「難しいことを要求しない(できない)」という設計思想があったのです。

ですから、撃たれても墜ちない戦闘機で撃ち逃げする、という作戦が生まれ、粛々と実践されたのです。

戦闘という、高度な技量が要求される行為を、「誰にでもできる簡単なお仕事」にしたという意味で、イノベーションの劣化であり、昇華であるわけです。

このように、結果として米軍は、簡単に兵士自体を量産し、そしてその兵士自体に簡単化された事業としての戦争を遂行できる体制を整えたからこそ、そのまま、もともと豊富であった物量を最大限に活かし、日本を圧倒することができたのです。

さて、現代の日本に生きる我々は、ここから以下のような教訓を学び取りたいところです。

・個人の頑張りや能力をアテにした計画にしない

・できないことを「やれ」などというバカな命令をしない

・目標を達成できる仕組みややり方は、組織が標準化して「提供」する

というようなところでしょう。

つまり戦場だろうが事業だろうがクラブ活動だろうがスポーツだろうが演劇だろうが受験勉強だろうが、何だろうが、それを「システム化」することであり作業化するということです。

日本に先駆け、練度の低い工人しかおらず、そうでありながら工業大国化したアメリカでは、ある意味当然のように行き着いた考え方だったのかもしれません。

面白くはないですが。

かの国の多くの指導層たちに、このような、個人の能力や頑張りに期待しない、「組織化」の素養があったことが勝因であり、逆に日本の敗因の大きなポイントであったと考えます。

そしてこのような指導層における「認識」「教養」「素養」の差は、残念ながら現代にいたるまで、色濃く引き継がれているのではないかと思うのです。

以上