(2014/08/30)縄文時代を考察してその時代のやり方に一旦戻ることを考えてみる

吉野ケ里遺跡なう

おはようございます。

2014年8月の記事です。

弥生時代は米作が普及し(始まったのは縄文中期~後期という説が現在では主流ですが)、貯蔵できる主食という米というスーパーアイテムを手にした我が国の先人たちは、村(邑とも書きます)からクニ(国と書きますが国家という単位ではありません)を作っていくことになります。

富の蓄積が可能になった人類社会は、より専門化された文明単位の集落で共同生活を行い、同時にその生活共同体を守るための軍事力も保持し、しばしばその力も用いていくことになるのです。

日本列島の西にもたらされた稲作技術は既に高度に洗練された水稲技術であったようで、開墾や用水管理の技術指導や大規模労働力の投下など、より大きな集団が期待されることになりました。

現代の株式会社理論を持ち出すまでもなく、世の遊休資本や細かい労働力を集め糾合したほうが生産力が上がり、個々の生存の安全や利便も高まったのです。

しかし、充分に大型化した集団は、いつしかクニと呼ばれるようになり、隣り合うクニ同士の間では、富や田畑、用水権などを巡りしばしば小競り合いが発生していく事にもなります。

そうして小さなクニはそれぞれ統合や上下関係明確化による合併や侵略などを繰り返しつつ、より大きなクニとして書物上の歴史に登場していくことになります。

1世紀には漢書地理志という書物に、奴国王の金印を与えたことが載っていますし、3世紀には邪馬臺国で卑弥呼と呼ばれた女王が魏に朝貢し、鏡などの宝物や親魏倭王という地位を示す金印を授けられたとあります。

因みにこのあたりまでが弥生時代とされ、これ以降は前方後円墳で有名な古墳時代となります。

このように、諸説いろいろありますが、一般に弥生時代以降の日本の歴史を約2,500年とするならば、その前に1万年以上続いた縄文時代があり、稲作という富の蓄積がなされていなかったゆえの、組織未分化フラットかつ自己責任の社会だったということになります。

ピラミッド型組織は弥生時代以降から

弥生時代以降続く、組織化とピラミッド型社会については、飢えずに効率的に集団が生きるために便利な仕組みではありますが、個々の構成員の幸せややり甲斐を犠牲にする一面も持ち合わせているように思えてなりません。

こうした組織ピラミッド型社会の閉塞状況を打ち破りたいと、様々な人がベンチャーやNPO活動やPTA活動、地域有志活動といった会社組織に縛られない活動へ向かっています。

雇用についても、「会社の定年雇用」ではなく、「社会の終身雇用」へと変換が進んでいるのではないかと考えるのです。

その意味で、弥生時代よりはるかに遡る縄文時代という日本文化の原点を振り返ってみるのも良いのかもしれません。

歴史の授業を受け持ったら、絶対に一年三学期内に昭和どころか明治時代にすら到達できない自信があります。

全く大化の改新までで年の半分を使いかねない筆者からは以上です。

(平成26年8月30日 土曜日 最終更新:平成28年8月30日 火曜日)

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