地元福岡で50周年を迎えた不動産会社の昔の話がとても興味深かったので紹介します(株式会社大央のお話)(2019/10/28)
おはようございます。
2018年10月の筆者提供の企業の歴史に関するブログ研究配信記事です。
地元福岡の不動産事業者の創業50周年記念の集いがありまして、400名を超える取引先や関係先、お客様を招いて盛大に行われました。
その中で、この会社がやってきたことを、地元福岡の中心街「天神」の歴史と合わせて2代目の(建築事務所主宰を兼ねる女性の)社長が紹介するセッションがありました。
創業者の会長副会長夫妻から、その娘さん息子さんが社長副社長で会社を率いる2代目に移り、そして会社は創業50年、半世紀を数えました。
副社長である息子さんが、ちょうど50歳ということ、会社とまさに一緒に歩んだ2代目の挨拶も立派なものでした。
企業の寿命が(実質的なM&Aや売却の方法も多様化しています)ますます短くなってきているように感じている中、地元に根ざした地道でかつ新しい取り組みを行いながらの50年を大勢の参加者のみなさんといろいろ雑談を交えながら振り返るのは大変楽しかったです。
創業者の会長は、以前に引き継いだ別の別業態の会社を、残念ながら倒産させてしまい、北九州市から福岡市の妻の実家(旅館をやっていたそうなので、一室を借り受け)に居候しながら、自らをやどかり家族(間借りの家族)と称して、すでに生まれていた娘さんと3人で、新しく福岡市で不動産屋を「不動産業」にしたいという夢を持って、キャッチフレーズ「不動産の銀行」を掲げた「株式会社大央」を創業されました。
大央、というのは左右対称の字であり、一度会社を「傾けた」ことのある創業者としては、今度こそ左右バランスの取れた形で会社を盛り立てていくのだ、という思いがあったとのことで、それから「大」「央」とも、末広がりの座りの良い縁起の良い字であることから、そういう名前にしたということでした。
もちろん、天神の旧旗本の屋敷群が立ち並ぶ一帯を「大名」と称しまして、その一字「大」をいただきその中「央」で頑張ることを誓った、というのが公式見解としてはあるでしょうが、こうした左右対称バランスをとる、という「記載されない」口伝えで伝わる歴史こそ、本当に面白いものではないかと思いました。
実に、会社としてのお付き合いはすでに軽く10年を超えておりながら、こういう話は浅学ながらほとんど知らなかったので、本当に勉強になりました。
このブログにこうやって書くくらいですから、これは頭で覚えたものではなくて心に刻まれたものであり、ずっと後になってもこのことはすぐ取り出して話すことができると思います。
筆者も、子供や会社の創業時の名付けの際には、左右対称の文字で名前をつけるのを勧めてみたいと思いました。
さて、その株式会社大央は、当時先進的な様々な取り組みを行いましたが、その中で特筆すべきだったのが、天神の西鉄ターミナル駅やコンコースに、不動産の売り買い情報の掲示板を設けて、そしてその札に売買情報を一口いくらで掲載してもらう、という掲示サービスを始めたことです。
そして、そこで秀逸だったのは、この掲示板を、わざと「屏風型」にすることで、掲載スペースを、平坦な場合に比べて4/3(200枚/150枚)にアップさせたということなのです。
一面に掲示札が並んでいるより角度が微妙に付いていることから、見る方も動きが出ますし、平べったくてボケた印象もなく集中して見てもらえる、ちょっとしたことですがものすごい人間工学に基づいた合理的かつ効率的な設計だったのだと感心しました。
現在の、PC画面、タブレット画面、スマホ画面の平坦ぶりを見るに、このような立体的3D発想には脱帽です。
不動産という、非常に高額であり管理に手間のかかる資産を総合的にお世話しながら、福岡の街づくりに貢献する、株式会社大央の社員は、福岡の歴史と伝統、昔話に詳しくなっておく、ということも合わせて説明されていました。
こうした温故知新(古きを温め新しきを知る)という企業精神こそ、この会社の最も誇るべき財産なのかもしれません。
今日は、創業半世紀を経てますます意気盛んな地元の「いい会社」のお話でした。
ホテルの懇親会会場で、本ブログの読者に少なからずリアルに出会えることができ、古代歴史談義などを話すことができましたのも、合わせて大満足でありました筆者からの紹介記事は以上です。
(平成30年10月28日 土曜日)
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