事業の本質

お姉ちゃんへ おはようございます。昨日の夕方玄関口で話したかったことを書いておきます。弟くんが間に入ったので。

なにごとも、それなりのサービスや財、商品を提供するようになるためには準備が必要です。いきなり世界中に自分のサービスを買ってくれといっても、誰も相手をしてくれませんよね。逆の立場で自分が消費者、使う側として選ぶときに、知らず知らずにブランドとか他人が勧めるものに影響されるので、たとえ世界の片隅からアピールされてもなかなか買うまでに至らないことを見ればわかると思います。

そして、実はサービスや商品が受け入れられるのは、そのサービスや商品自体の品質がとてもいい、ということでは決してなくて、そのサービスや商品自体の、お金に換算した「価値」のものさしが、買い手と売り手でしっかりと合意されているということなのです。これが相場です。そして、相場感がより広くマーケット(世の中と言って良い)に浸透しているから、そのサービスや財の売り買いが頻繁に起こり、いつしかそれは事業になるのです。

実は、マックのフライドポテトも、スタバのコーヒーも、そんな大したもんじゃありません。家で自分で作ったほうがよっぽど美味しくできます。ですが、その家で自分で作るというのが手間なのです。その時間をカネで買って、とりあえず次に行く、そう無意識に判断しているから人々は命の次に大切なお金を支払って、手っ取り早くカフェラテを買うわけです。そして、そのたかだか一杯の紙コップ入りの乳製品もりもりのコーヒーもどきに、550円(消費税込み、脱線するけどわたしは必ず取引するときには「消費税込み」で言います、実際に支払うお金の感覚を持ってほしいから)以上のお金を払い、紙コップをどこに捨てるかまでの責任も押し付けられるわけです。それでも皆買う。

これは、スタバが悪いとか言っているわけではなくて、これこそ事業の本質だということです。本当は、自分で何でも勉強して時間を使って自活すればよろしい。野菜を作り、養豚して、米も作って魚も釣れば、それでOKなのですが、残念ながら全てをやり尽くすまでには人生の時間があまりに短いわけです。ということで、社会は分業を進めまして、あらゆる方面に「その道のプロ」を配して高度な文明を構築することに成功しました。これが人間社会の成り立ちです。

なので、お姉ちゃんも、もっと言えばお母さんも、どの分野に秀でた「プロ」になるか、それによって収入構造も見えてくるし、世界も違うように立体的に理解できるようになるということです。別にわたし(筆者)も同じでして、わたしが司法試験に合格して弁護士になるとします。そうすると、国家公認のヤクザとして、ほぼすべての揉め事にプロとして介入することができるようになります。これは単なる素人のよろず相談所とは訳が違う、それだからこの勉強、だいたい1万時間くらいかかるけれども自分を投入するのに十分な挑戦だと思っているわけです。

というようなことを伝えたいと思いましたが昨日の玄関口では時間も雰囲気も足らなかったので、ここに書きました。それでは今日も一日がんばりましょう!
司法試験予備試験短答試験まであと20日。

おれがなるって決めたので、べつになれなくても構わないのです。それは世の中が決めることで、自分ができることは自分が精一杯やることなのです。そして、他人の見解や興味や期待や押し付けや中傷は一切関係ないのです。

「ONE PIECE」第一巻の冒頭に、
「おれがなるって決めたんだから、そのために戦って死ぬんなら別にいい」
って書いてあります。1997年7月初出。筆者社会人1年目。この漫画は化けると当時確信したセリフです。

おれは死んでもいいんだ!
ということですね。

以上