やりがいの正体

生きがいは結果

生きがいや、やりがいを見つけるにはどうすればいいですかって?こんな話を聞くにつけ、もう本当に、「今の若い人の感覚はおかしくなっているのでは?いったい何を考えているの?」と(古い人間の)私は感じてしまっています。私は初老のおっさんですが、正直これまで、「生きがい」や「やりがい」だのを求めたことなどただの一度もありません。私は仕事もプライベートもがんばってきましてそれなりの人生を歩んできていると思っていますが、それ自体がやりがいとか生きがいとかの正体そのものじゃないんですかね?それを成功というのならば、もともと私を含む多くの人が「なんもしなければだめ人間」であり、それゆえに努力することで「成長」しているという個々人それぞれの実感を得て、それによってますます「努力」ができたからですよね。その「成長の実感」つまり「自己肯定感」こそが「生きがい」や「やりがい」の正体だと思います。つまり「生きがい」や「やりがい」というのは、やることやって、成功なり失敗した奴が独占できる結果論です。私は声を大にして言いたいのです。「生きがい」や「やりがい」がある生き方や仕事なんてこの世に存在しません。どんな生き方でも仕事でも、失敗や成功、嫌なこと嬉しいこと、努力を通して成長できたという喜びや達成感を得た時、振り返ってそこに「生きがい」や「やりがい」があった、というのです。「生きがいや、やりがいを見つける」とは、まるで「絶対成功し、嬉しいことが必ずあり、絶対失敗しない、絶対に嫌なことがない、努力も必要ない」そういう「楽園」のような「生きかた」「仕事」が世の中にあるみたいです。「生きがい」や「やりがい」というあたかも”もの”のようなものが直接に与えられるような生き方や仕事は世界の果てまで行っても、そんなもの、存在しません。おかしくないですか?今の若い人が「楽しくないものはいらない。楽しいものだけ欲しい。でも、色々探してみたけど世の中に楽しいことはどこにもないなあ。生きてたって何も楽しいことなんかないんだ」というほとんど「笑わない王子」みたいな、あるいは、お金持ちの甘やかされたお坊ちゃまかお嬢様かのようなことを言います。が、これって「チルチルミチルの青い鳥の話」ですよね?「生きがいや、やりがいを見つける」というのは「幸せの青い鳥」を探すことなんです。「幸せの青い鳥」は世の中にないんです。「生きがいや、やりがい」は「見つける」んじゃなくて「振り返って作る」ものなんです。今の人は努力を嫌がるのが多くないすか?「嫌な仕事をしたくない」この仕事には「やりがい」がない。って言いますが、それは、単にその人が怠惰で無能だからその仕事ができていないだけのことです。「『やりがい』という名の『魔法の杖』がなければ、こんな『つまらない仕事』なんてやってられっか!(実際には努力しないのでできない)」ってことです。どんな仕事でも、うまくこなせたり、儲けられたり、成果が上がり、誰かが感謝すれば、とたんに「やりがい」が生まれるんです。私は自分で自分の人生は成功していると思っていて、人生の達成感、生きる歓びにあふれてます。だから毎日振り返っては「生きがい」だらけ「やりがい」だらけです。だから、私は「生きがい」「やりがい」に満ちあふれてます。多くの成功、そして何倍もの失敗を積み重ねて、しかもそれら全てをならして平らにして、また新しい挑戦をする、面白くないですか?今まで生きてきた知恵と経験、古来からの先輩やご先祖様のなさりようを参考にすれば、全く新しいことだろうが無理っぽいことだろうが、何らかの突破口って見つかるんじゃないでしょうか。私はいくらでも「生きがい」「やりがい」を自分の中から生み出せるからです。やりがいがないとか、そんな大きな勘違いをやめて「生きがい」「やりがい」を作りなさい。というところですかね。

やりがいは振り返った結果として味わうもの。初めから求めるものじゃない。自分の取り扱いが下手な連中に、つける薬はない。

以上