勝ち組

ドジャース大谷翔平

赤がチームカラーのエンゼルスから、青がチームカラーのドジャースに2024年シーズンより移籍した大谷翔平選手を、カスタネットに称してどちらも似合うと説くツイート(もう、Xのポスト、というのでしょうが)が受けています。さもありなんと思いますが、このドジャースというチーム名は、「よける」という意味で、日本でよく知られる競技スボーツのドッチボールのドッチと同じ意味です。あれは、よけるスポーツであり、ボールを取る競技ではなかったというわけです。ドジャースのチーム名の由来について公式には、「ドジャース」とは「dodge(よける)する人たち」という意味を持ち、これはかつてニューヨークのブルックリン地区で発達していた路面電車(トローリー)を巧みによけるブルックリンの住民ら(子ども)が由来しているとされています。ドッジボールというのはボールをよけるゲーム。つまり、よい人生を送るには困難に立ち向かうというのも必要ですが、より求められるのは、かような自分ではどうしようもない外部的な障害や困難を、うまく「よける」ことにも通じるということです。これまた余談ではありますが、野球の神様と呼ばれるあのベーブ・ルースも実は1938年に一塁コーチとしてドジャースと契約した過去があります。ヤンキースのイメージが抜けない英雄を、わざわざドジャースはチケットの売上を上げるためにルースを雇ったとも言われていますが、これも、どちらも似合うということで野球人気全体をアップさせようとしたドジャースのみなさんの「よける」技の賜物なのかもしれません。

さて、人生です。どのような人が人生の勝ち組になりますか?というような質問を受けることがあります。筆者は、多様な人生において、総体を勝ち組負け組二元論に解消させてしまうその程度の論調自体が嫌いな人間でありますが、あえてお答えするなら、自分で自分の取り扱い方がわかっている、自分の人生のハンドルを自分で握れる人、ということになりましょうか。勝ち組とは裕福な暮らしをして自慢げに暮らすことだとしたらごめんなさい、それ違います。不正解です。
筆者が垣間見てきた、「この人、人生勝ってるなぁ」と思った人のイメージは、仕事/家庭/プライベート(個人的活動)全てにおいて想いがあり、どんなことでもその人や物事のためになると思えばすぐに行動し、自分の軸を持ち、自分の信念に基づいて毎日の瞬間を大切に生きている人でした。そのような人は皆やりたいときにやりたいことをします。この点、裕福さは自由を与えるもので、それ自体が幸福なわけではありません。共通していたのは、「自分が好きなことだけを行い、正しいと思ったことだけを行い、そのやり方ややる時期について、周りの意見を十分に拝聴するけれども決して流されない」といった人たちでした。そんな、勝ち組族はみんな共通して目が輝いてたり、オーラがあったりして迷いがなかったと思います。そりゃ、自分の人生のハンドルを握り、いいことも悪いことも失敗も成功も、自分のやったことを直接肌身で感じることができるわけですから、そりゃ真剣にならざるを得ません。きつくない、楽だというのとは全く違うと思っていまして、傍目にはこの人こんなのやってて身体や精神は大丈夫なのか?と言われることもしばしばです。しかし、そのような彼らは、同時に、圧倒的存在感をもって、自分の人生の役割や価値をしっかり定義して「この人は自分の人生のハンドルをしっかり握っているんだ」と感銘を受けるのです。総じて、自分の人生の使い道に迷いがない、というところでしょうか。
さういうものに、わたしはなりたい。
『雨ニモマケズ』(宮沢賢治)より
以上