昔話

とある地元の上場企業に定期訪問

最初にこの会社の社長にあってから、もう15年くらいになりますかね。とある地元の企業(そのときは上場してなかった)に出入りするようになったのは。最初はこの会社、役職員総数7人、売上高1億円未満、だったわけですが、今は役職員総数で200人に届こうかとしています。で、わたしはこの会社の人の名刺を今アプリで見ていたら72枚あったので、もう退社された方も含めてだいぶこの組織の歴史と浮沈と血と汗と涙を眺めてきたということで、それはとても価値があるということを教えてもらいましたので、その話をしようとしています。
こういうベンチャー企業は、調子がいいときは持ち上げられてメディアなどの露出も増えて忙しくなり、引っ張りだこになります。上場の直前などは本当にそうで、そういうときには「観察者」を任じているわたしなどは遠巻きにあまりぐいぐい接点を持とうとしないようにしています。逆に、困難にぶちあたったり、危機的な状況になったときには、古い友人の出番です。俄然やる気が湧きます。なんの用もなくても訪問すると、いろいろな困り事や課題感が見えてきます。そうしてまた友誼がつながるという塩梅です。
今回も、コロナ後ということで、外部講師を呼んでの社内研修再開の第一弾ということで、お声掛けをいただき、研修担当の人事部長代行とプログラムを詰め、そして、同社の一番大きな会議室を借り切って数時間のセッションを行ったのですが、これは盛り上がりました。盛り上がったついでに、ここから派生して、いろんな定期的な会合が分化したことです。おかげさまで、月イチ以上の訪問になっています。
そして、こうしたセッションや会合で一番盛り上がるのは、わたしというおっさんが、「昔の話」をすることです。昔の話って敬遠される、って一般的には思われますよね。そんなことはないですね。みんな、自分が一番「燃えた」ときの経験を生き生きと話したいと思っているし、そんな生きてるっていう実感がある話を、若い人も男も女も、ご老人だって子供だって聞きたいに決まっているんです。昔話じゃなくて、自分が燃えた若い頃の話してるだけ、なんです。
だけども、話し方によっては、退屈なのか、やっぱり昔の話ってやっぱり敬遠される。それって何が原因なのでしょうか。わたしは、その原因は、「今の常識で過去を測るから」だと思っています。今のルールだとそれダメあれダメという「常識」になっている「規範」「ルール」「文化」を、無条件に過去の事象に無機質に「あてはめ」てしまうと、ほとんどの場合炎上します。話はできなくなります。源氏物語とか無理ゲーだろ、そういう話です。
わたしの話をしますと、わたしは、2004年5月に新婚さんいらっしゃい、という素人番組に出演しています(ググったら出てきます)。オーディション倍率50倍をくぐり抜けてたどり着いた出演で、さらに視聴率としても好評だったんですけど、ここに語られているエピソードを、20年後の今、令和6年5月に披瀝してしまうと、おそらく現在のコンプライアンス上できないことだらけになるはずです。会社もそんなわたしを守れない。実際そのようにユーチューブのコメント欄にもコメントついてます。であるからして、昔話を始めた瞬間、コンプライアンス自警団に蜂の巣にされて社会的に抹殺されることを知っている、ある程度賢い人ほど、過去のことはしゃべらなくなってしまうわけです。でもそれって想像力の欠如でしかありません。昔だろうが今だろうが、「いま」を必死に生きてきたその連綿とした営みの最先端に今の令和の我々がいるわけですから、もっとオープンに開放的に過去を語らないといけません。その意味で、ちょんまげと帯刀を着物を脱ぎ捨て西欧化を一気にしちゃった明治時代の人たちとか、イケイケドンドン、五族共和の大東亜共栄圏目指して真珠湾、だった超軍事大国大日本帝國を一気に戦争放棄の平和憲法集団に衣替えしちゃった昭和20年後半とか、そういう離れ業をやれちゃう日本人だからこそ、ちゃんと過去の事象も「記録」して今後の戦略に活かすようにしたいものだと思うのです。ネガティブなものに蓋をしてしまうと、ほとんどの過去事象は語ることができなくなってしまいます。それって損ですし、コンテンツとしても学びとしても面白くない。勉強しようといいながら、一番の素材である自国や自分の育った地域の歴史を知らないのは片肺飛行の片手落ち(あえて、問題になりそうな言い方してみましたw)でしかないでしょうね。障碍者の雇用の歴史だって、同和問題だって暴力団だって学生左翼運動だって、戦争の話だって、どんどんしないとその課題がそもそも何だったのか全くわからないのです。それに、先の大戦で負けました、ということですけど、もう一回やるにしても、そのかのアメリカ合衆国、という国自体が、あのころやり合った、ホワイトアングロサクソンプロテスタント、いわゆるWASPを頂点とした人工マッチョ国家であったのが、相当以上に変容してしまっていて、特にカルフォルニアといった西海岸諸州に行ったらヒスパニック系、インド系、アジア系、メキシコ南米系、黒人系とまあ、こりゃ我々と戦ったあの国はどこいっちゃったんだ、むしろ有色人種のこっちの国に似てきてね?と思ったりするわけです。原爆落とすとか控えめに言って最低じゃね?とか。
アメリカ本土行ったことないですけど。
では、唐突に終わります。ネットは一日1時間まで。
以上