(2020/01/24)日本の大学の国際競争力をどうやったら高めることができるかという積年の「課題」に対するたった一つの究極の「解決法」をここに提案します

入学試験

おはようございます。

2020年1月の日本の大学教育に関する配信記事です。

つい先日、イギリス(大英帝国)のオックスフォード大学に留学していたという日本の大学の教授の先生と、MIT(MIBではなくてアメリカの最も古い町の一つであるボストンにあるマサチューセッツ工科大学)に留学していたベンチャーキャピタリストの専門家と、合わせて福岡で会いまして、話が盛り上がりました。

それから、いろいろ考えると寝れなくなりましたので、そこで少し話題になった、日本の大学の国際競争力(というか国際的評価)がどうして国力に比して高まらないのかという課題について、現役の学生とも別に話したことを書いておきたいと思います。

なお大学では、今は就職活動の真っ最中であり、今の就職活動においては、活動用のES(エントリーシート)を書くのが主流だそうです。

え?そんなん書くの?

一番見るべきなのは、学業成績表じゃないの?と思った私は昭和病なのでしょうか。

そのエントリーシートなるものに記入するのは、課外活動とか部活動とか、さらにはボランティア活動とか、そういった大学の学業とはどうもほとんど関係ない「活動」ばかりであり、大学の専攻で培った測定可能な「能力」を記入する欄など全くと言っていいほどないのです。

大学卒業時の成績は散々な筆者でしたが、筆者がいわゆる就職活動を行い、企業らの面接で印象に残っているのは、以下のような某長期信用銀行での最終面接前の実質的選考となった、以下のようなやり取りです(なお、入行した銀行とは違う銀行です)。

ようこそ君、学部は?

法学部です。

専攻、ゼミは?

刑事訴訟法です。

担当教官は鈴木茂嗣教授です。

いいねえ。じゃあ、検察官の起訴便宜主義は是か否か?

検察官の独立を担保する意味で、是だと思います。

では私は否の立場を取る、議論しよう。

・・・・(議論が戦われ、学生の当方は完全に論破されました)・・・・

そこで、面接は終了し、結果は通りました。

つまり、面接官は、当方の大学で学んだ能力を適切に測定し、この論理展開力、議論の技能能力なら銀行業務に使えるだろうと判断して、当方を上に上げた(通した)ということなのです。

どうやって論破されたかは忘れてしまいましたが、23年以上経ってもこの面接は、筆者の中のこれまでのあらゆる面接やミーティングの中で第一等の印象を保持しています。

このように、企業採用側が、その能力を傾けて行う採用活動は、たとえ落ちても採用される側、学生側に強烈な印象を与えるのに対し、こんな課外活動の羅列や作文で喜んでいるような、学生の培った専攻での能力をきちんと測定する努力を放棄した、採用側のサボりが受ける側に伝染して、そして大学はますますただのレジャーランドに化しているのではないかと思ったのでした。

私が23年前に受けた面接官は、たとえ民法でも商法でも会社法でも、さらには経済学についても、文学だって、その受験者の能力を正確に測定する「技量」を持っていたのではないかと信じられるのです。

特に、日本では、修士号や博士号が軽んじられているのも、この延長のような気がしています。

つまり、大学で磨く専攻の能力を適切に測り、企業側が待遇や採用面において重きを置かなければ、修士号や博士号も、ただの卒業証書と同じ扱いです。

これでは、大学自体の国際競争力などつくわけありません。

東大現役合格で留年なく卒業して、旅行やボランティアでリア充、いくらウェイウェイしていて人が良くても、鍛えた専攻能力が見いだせなければ謹んでノーサンキュー。

この傾向は、むしろ筆者が大学生であった時期より悪化していると思っています。

このような、日本の大学のレジャーランド化、ぬるま湯体質を一網打尽にして解決する、画期的な方策をお示ししたいと思います。

特に日本の今の学生たちの傾向である、海外に出たがらないといった、「殻」を破るための何よりの方策です。

それは、入学定員を、倍にして、半分以下しか卒業させなければいいのです。

そして、大学院教育こそ本丸だとして、学部は4年かけて半分を振り落とすところと決めてしまえば良いのです。

海外の経営者、特にITの世界では、経営者は皆自分自身がプログラミングもする研究者でもあります。

大学院は学部の付け足しではなく、最も難しい試験は、大学の博士認定論文考査であるべきなのです。

大いに、出すぎる杭は打たれない、ということにして、多様な人材を、じっくりふるいにかけて選別して、鍛えて世に放つようにすれば、もう少し大学院にも金と人が回っていくように思います。

そして、教育とはハコモノや(桜の)イベントでは断じてなくて、当面の見返りは全くない事業ですが、人間の根元の欲求である学びたい衝動にストレートに刺さる、長期的に絶対にリターンの見込める鉄板の収益事業だという認識を持つことでしょう。

以上、日本の大学の競争力を回復させるためには、学歴というものを学部入学試験時の偏差値輪切り指標と割り切ってしまう悪しき伝統をぶっ壊すことから始めるべきであるという、筆者のささやかな「主張」でした。

(追伸)先日まで武漢(ウーハン)で起こった新型コロナウィルスのことは中国国内では報道されておらず殆どの人が知らない状況だった様ですが、それが解禁されて中国人が新型コロナウィルスによる新型肺炎(死に至る)のことを知ってパニックが起きている模様です。

そして真っ先にマスクが品切れになり店ではマスク不足が起きている模様です。

そのマスクについて、使った後に捨てたマスクを拾い集めて再販するビジネスが急増、既に新型ウィルスが付着しているマスクを再販するということで、更にウィルスの拡大に拍車がかかっている模様です。

かように、想像のはるか上を行く事象が起こるのも、教育の不在と情報の偏在に負うところが大きいと認めざるを得ません。

大学院には行かなかった、学部卒「程度」の筆者からの提言は以上です。

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(2020年1月24日 金曜日)