(2020/03/31)新型コロナウイルス後の世界を見据えたやり方の研究をはじめました

おはようございます。

まず、iPS細胞の第一人者、山中教授が個人の責任において情報発信している新型コロナウイルスに関する発信を引用します。

新型コロナウイルスとの闘いは短距離走ではありません。1年は続く可能性のある長いマラソンです。日本は2月末の安倍首相の号令により多くの国に先駆けてスタートダッシュを切りました。しかし最近、急速にペースダウンしています。このままでは、感染が一気に広がり、医療崩壊や社会混乱が生じる恐れがあります。一人一人が、それぞれの家庭や仕事の状況に応じた最速ペースで走り続ける必要があります。国民の賢い判断と行動が求められています。この情報発信が、皆様の判断基準として少しでも役立つことを願っています。なお本活動は個人の責任で行っており、京都大学やiPS細胞研究所は関与しておりません。

「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」より

非常に勇気ある発信で、敬意を表します。

これだけの国費が投入されている公的研究機関の責任者という重責を担いながら、それでも組織の論理で発信できない部分を、常に「所属する組織とは関係がない」個人の立場で柔軟に発信するという姿勢に敬服いたします。

ともすれば、危急の場合ほど、人間は内にこもり、批判や反発を恐れて発信をしなくなるという傾向があり、それは人間の安全への欲求に従った正しい行動であるわけですが、こうした、組織を超えた枠組みの外で、いわば、かつて幕末に脱藩した浪士のごとく、熱をもって動く人々もいらっしゃいます。

さて、現代の脱藩浪士はどのように動いているのでしょうか。

彼らは、大手小売業の社長といった重い地位にありながら、社内の状況およびそれと分けた自らの個人の発信を、柔軟に両立しています。

さるドラッグストアと言われる小売業では、感染しないこと、感染させないことを前提に、各業務の目的は変えずに、人と人との接触、本部内の人口密度を減らして今と同じパフォーマンスをする方法を考え、やりたいことを変えずに、やり方を変えるという改革に着手しています。

在宅勤務ができるスタッフは、在宅勤務を認め、在宅勤務が不可能な社員で、公共の交通機関で通勤する社員は、人との接触を減らすよう通勤時間をずらすことを推奨し、本社の勤務時間を7時半から21時の間でのフレックス制とし、朝礼と夕礼の代わりに、昼の報告連絡会をウェブ上で開催し、仕事の効率を高め、集合研修を全てウェブによるものとし、議論の必要な会議や打ち合わせは、会議室や応接室の広さに応じた最大参加人数を設定し、密接を防ぎ、人数が超える場合には、ウェブ会議システムを用いるという方法としました。

ちなみに、取引先にも、2名以下での来訪をお願いする、ということです。

これが、やりたいことや目指す方向を変えずに、やり方を柔軟に変えていくということなのでしょう。

また、別の小売業では、思い切って2020年3月30日の本日から4月12日まで全面的に在宅勤務に移行しました。

今の感染状況の実態が見えない中、ここ1~2週間の対応が、その後の状況に大きく影響するのではないかという判断で今回の対応となりました。

現在の事務所の勤務環境だと、いわゆる「3密(密閉、密集、密接)」の状態となってしまい、万が一無自覚の感染者がいた場合に、一気に蔓延するリスクがあり、それを避けるための対策となります。

現在の段階で全面的に在宅勤務に移行するのは過剰反応ではないかという意見もあるのは重々承知していますが、後で後悔するよりは、早めに手を打った上で、結果的には何事もなかった方が断然良いと考えたとのことです。

ちなみに同社では、クラウドシステムのG Suite(当時はGoogle Apps)導入時から極力資料のペーパーレス化を進めていたので、大半の資料は Google Drive上に有りますし、一部の古い自社業務アプリもVPN経由で利用できるようになっているので、移行後の環境の懸念はあまり無く、在宅勤務にすることが出来たということです。

それでも物理的な捺印が必要な書類が残るので、出社している人員が大幅に減った本社において、2m以上の距離をとって仕事をすることにしています。

一方、新卒採用はオンライン化が難しいので、採用面接は、マスク着用・手指消毒・机や椅子も都度消毒の上、十分に距離をとって行うことにしたそうです。

この小売店チェーンの店舗では、これまで通り、定期的な手指消毒、マスク着用に加え、レジやタブレットなどの共用備品の定期的な消毒も徹底しながら、営業を継続します。

店舗と本部のやりとりは、これまで電話が主でしたが、今回を契機に全て社内チャットかメールでの連絡とし、この方がかえってやりとりが可視化され、重複した質問が減る効果もあるしれないと期待されています。

もちろん、急激な業務変化による課題も沢山出てくるはずですが、それでも前向きに課題に対処し都度改善策を打ちながら、対応していくとのことです。

かつて日本の歴史でも、かなり昔になりますが、「天平のパンデミック」というべき天然痘の流行というのがありまして、奈良時代、疱瘡(天然痘)の大流行が、時の最高権力者である、藤原四兄弟全員を死へと追いやったのです。

そして、それはまさしく、奈良時代の政治史のターニングポイントとなったわけです。

奈良時代の記録をみると、天平9年(737)に、ある疫病が大流行しています。この疫病によって当時、政権を握っていた藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)全員が病死し、政治機能が一気に麻痺してしまいました。

ちなみに、天平年間に政治を担っていた公卿たちが、こうした疫病の流行前後でどれぐらい入れ替わったかを調べた研究がありまして、流行前に92名だった公卿たちが、流行後には56名に激減しているという結果もあるようです。

つまり、日本の政治機構の最高度に位置していた、トップ層の政治家たちのうち、実に三分の一が死亡または殿上に上がれない程度まで病状が悪化したという可能性が高いわけであり、この最高度の医療体制や療養体制が完備されていた公卿レベルでそのようなものであれば、庶民における疫病の流行は、それを超えるレベルだったのは容易に想像がつくのです。

この非常に高い致死率から、当時の日本では未経験に近かった疱瘡、つまり天然痘だったというのは、ほぼ間違いないと思われます。

現代は、ウイルスというものをより科学的に理解することができるようになっています。

昔は、悪魔か何かの所業であると信じるしかなかった感染症についても、現代では、科学的に対処することができるようになったということだと前向きにとらえて、新型ウイルスに理論的に対応する術を考案していくしかないと思います。

こちらからの雑談は以上です。

(2020年3月31日 火曜日)