(2021/02/17)日本の縦割り行政と言われるものは実は伝統芸能と評価したいという件
本稿は、前衆議院議員である緒方林太郎氏(福岡9区、九州・沖縄ブロック比例代表)のフェイスブック投稿を引用、改定変更する形で作成したものですが、日本の縦割り行政について、一般にもわかり易い内容だと思いますので、ご紹介しながら当社の解釈も入れて論じさせていただきます。
現政権の新型コロナウィルス対応を見ていますと、日本の行政機構はどうしても船頭多くして船山に登る、いわゆる多頭性になっている弊害が多く出ているように思えてなりません。
キングギドラとも呼ばれたあの3行統合で誕生したみずほ銀行を例にとるまでもなく、責任の所在を体現するトップは1人にまとめたほうが組織決定の力が増すのは道理です。
今、新型コロナウィルス感染症予防という国難に主として政府トップとして関与しているのは、①厚生労働大臣(田村大臣)、②新型インフルエンザ等対策特別措置法に関する事務を担当する国務大臣(西村大臣)、③新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を円滑に推進するため、行政各部の所管する事務の調整を担当する大臣(河野大臣)の3人です。
これだけでも、システムトラブルを連発した2002年4月3行みずほ銀行グループ統合の悪夢を思い起こしてしまいます。
まず、毎日テレビやネットで見ないことがない②西村大臣については、法に基づいて閣議決定で内閣官房のコロナ対策本部副本部長として任命されていますが、法令上の権限は実は非常に限られています。
そして、③河野大臣のワクチン接種担当に至っては、法令上何の根拠もありません。
任命は単なる総理の指示です。
したがって、②③両大臣とも、厚生労働大臣を始めとする各省大臣(内閣法に定めのある大臣、無任所大臣とは違う)の権限を行使出来るわけではありません。
行政学などでは講学上、理解の都合上、国務大臣と行政大臣(省庁大臣)に分けて論じられる場合があります。
行政大臣(省庁大臣)は主任の大臣とも呼ばれ、各省の長として特定の行政分野を担当している国務大臣を指します。
省という言葉も、そもそも律令制の時代から続いている由緒正しい長い歴史がありまして、この「省」を管轄する行政大臣として特定の行政分野を分担管理するわけではない内閣官房長官、内閣府特命担当大臣、無任所国務大臣(班列)などに対する「正統の」概念といえましょう。
「省」の漢字の「少」の部分が眉飾りと言いまして現在の字形ではわかりにくいものの、古代文字では横長の「目」の上に飾りがついているのがわかります。
すなわち、呪術的な力を増す眉飾りをつけた目で地方を見回り、取り締まることが「省」のもとの意味でして、さらに自分の行為を見回ることに意味を移して「かえりみる」になり、見回った後に除くべきものを取り去るので「はぶく」意味になったというわけです。
そして、奈良の都の平城京の(ちょっと手前の)時代に、隋や唐の律令制度に倣い、701年の大宝律令によって確立した律令制において、太政官の下に八「省」が置かれたのが日本史においての「省」のはじまりです。
話を戻しますが、こうした、そもそも省庁大臣がいる分野に対して無任所大臣をいろいろくっつけて外野がワーワーいうような体制にしてしまうようなやり方は、日本の歴史から見た行政機構的に上手く動かないように思われます。
省庁を所管する大臣について、内閣法には以下のようにあります。
第三条 各大臣は、別に法律の定めるところにより、主任の大臣として、行政事務を分担管理する。
つまり、日本の制度では、法律によってそれぞれの大臣が何をやるかがきちんと切り分けられて決まっているのです。もちろん、縦割りの原因ともなりますが、もともと守備範囲を決めて責任組織を明確にしておくというのが統治機構のあるべき姿です。
そう考えると、本件コロナウィルス感染症対策における「多頭性」は良くない、ということになります。
現在のような、立場的には対等な国務大臣による多頭性だと、それぞれが遠慮したり、喧嘩したりしながらやっています。
情報共有は円滑ではなさそうでして、調整など付きにくいことになります。
そして、特に数多くの具体的権限や責任、組織人員も歴史も持つ厚生労働省(本省)からすると、直属の上司でなく、何の権限を持っているかも分からない外部からあれこれ言われて面倒だと思っているでしょう。
しかも、その外部の大臣が、一部報道にあるような「パワハラ系」だとしたら尚更です。
この点、ある有識者とやり取りしていて傾聴に値する意見として一つあったのは、膨大な厚生労働大臣の所掌事項の内、労働や平時の厚生行政に当たる部分を別の国務大臣に任せて、コロナ対策やワクチン接種は厚生労働大臣が一括して担当するというものです。
つまり、国家予算の大宗を占める健康、安全、医療、年金、保育や出産といった領域を所管する厚生労働省の通常業務と緊急業務を切り分けます。
具体的には、今、西村大臣がやっている「新型インフルエンザ等対策特別措置法に関する事務を担当する国務大臣」も、河野大臣がやっているワクチン接種担当も本省の所管大臣たる田村厚生労働大臣がやるわけです。
一方で厚生労働大臣の下には、もう一人(労働+平時の厚生行政担当の)国務大臣を置くイメージです。
そして、西村大臣や河野大臣は、本業のは本業の内閣府特命大臣として、コロナ対策の中の経済面やワクチン面を担当し、全体の統括は官房長官、そして首相が担う、ということになります。
このように、「ある大臣が激務となる時に、その下に別の大臣を置ける仕組みを作って、いざという時に、普段の設えを出来るだけ崩さず対応出来るようにする」というのはありえる話です。
これは、平時とは違った危機的な状況に既存の組織を合わせて行くことができる、どちらかといえば日本人が得意な分野です。
これを超えて、危機的なときにトリッキーに変な担当大臣を作ったり大統領制とか言い出す前に、「あるものを活かしてトランスフォーム(作り変える)する」という日本人の優れた芸風を発揮してもらえればと思います。
コロナが危機的な状況だということの理解はありますが、日本の長い長い歴史を紐解けば、どの時代もその時代時代に危機的な試練があったと解釈もできますし、その中でうまいこと国をぐだぐだながら切り盛りしてきたという安心感を、実は筆者は持っています。
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