談山神社(たんざんじんじゃ)で藤原京に至るまでの藤原氏の暗躍と歴史的登場について思いを馳せるお話です(2021/03/20)

▼昨日の続きです。奈良県橿原市にある日本の最初の本格的都である藤原京を見る、東京より平安京より平城京より格上の、ジ・オリジンオブ京、の藤原京に立つというこの関西旅行の筆者個人的最大ミッションを果たした後の話です。

▼吉野の咲きはじめの桜や吉野神宮に足を伸ばし、そこから北上して中臣鎌足、のちの藤原鎌足が中大兄皇子、のちの天智天皇を誘い込んで蘇我入鹿をブッ殺そうぜの密談をしたという談山神社を見ることができました。思えば、この、大した豪族でもなかった単なる渡来系技術集団にすぎなかった中臣鎌足さんの一族は、この大兄、という格の高い尊称つきの皇子でありながらも、今ひとつそのまま皇位につくことはなかろうと思われていた中大兄皇子の野望、というかこのままでは殺される、という危機感を上手いこと刺激することに成功したのでしょう。貴人が集まる蹴鞠の会でわざと三度目に遠くに鞠を蹴り、2人で話す短い時間を作り出したところから全ては始まりました。そんな密談がなされた談山神社、もちろんこの神社のご祭神は中臣鎌足改め藤原鎌足さんです。たんざん神社と言いますのでこの際皆さん覚えておいてください。試験には出ません。

▼中大兄皇子は、おそらく中臣鎌足一族の話に、貴種として乗っかることを選んだのでしょう、それから程なくしてあの有名な乙巳の変、大化の改新などと言いますがやったことは皇太子が時の大臣、おおおみ、現在日本の内閣総理大臣と最高裁判所長官と衆参議院議長を全部合わしても足らない最高権力者の蘇我入鹿を宮中の海外使節の表敬公式行事中に刺し殺すというめちゃくちゃな日本史上稀にみる大クーデターでした。これにより、それまで栄華を誇った蘇我氏は没落、代わって単なる技術者集団、藤原氏が力を増していきます。藤原鎌足の息子の藤原不比等、この名前からして、並び立つものがない、というもの凄い名前ですが、この傑物の出現により、藤原氏はこれからの日本を、まさに大樹にからみつく藤のつるや花のように、時代時代の黒幕として暗躍していくことになるのです。

▼2021年、令和3年の今からたった80年ほど前、日本がアメリカイギリスと最大のガチンコ戦争を始める時に内閣総理大臣の地位にあったのは公爵、近衛文麿公ですが、このお方は、藤原氏の嫡流中の嫡流、近衛家の当主にして京都帝国大学卒の若き政治リーダーとして、時の国民的人気の的であったこと忘れっぽい日本人も良く覚えておいてもらいたいと考えております。実に45歳の若さで首相に就任しています。

▼さて談山神社のみで今回の話が終わってしまいそうですが、旅としてはその後は藤原氏により滅ぼされた蘇我氏の入鹿の祖父にあたる蘇我馬子の墓に比定されている石舞台古墳、神武天皇陵そばに橿原市民の請願により明治天皇のご厚意で整備された橿原神宮を高速参拝し、一路車を京都に向けたのであります。

▼次回はいよいよ京都編です。お楽しみに。

談山神社の十三重塔
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