米国株投資その2はモルガンスタンレーに決まった話(2021/05/10)

lake and mountain

▼おはうよございます。米国株式投資を行っている日本の限界集落や離島発の合同会社鈴木商店@長崎県対馬市です。限界集落度については、米国オハマ市に住まう世界的投資企業であるバークシャーハサウェイを率いる、600万円で購入した家に今も住んでいるウォーレン・バフェット爺さんにひけを取らないと思っております。さて、これまでほそぼそと行っておりました米国株マイクロソフト株への零細投資は、ビルゲイツ、メリンダ夫妻の老齢離婚によって終わりました。相手にどのような責任があろうとも、家庭ひとつまとめられない老年男女に、世界最大規模の時価総額(2021年時点で100兆円くらい?)を誇る企業の舵取りを委ねるのは得策ではないと判断したからです。代わりに、米国発、世界最強の投資銀行でありつづける、モルガン君とスタンレー君がつくって今もその社名でやり抜いている「モルガンスタンレー」という金融機関の株を買うことにしました。この、世界最強のカネの亡者(いい意味で)どもの歴史と矜持と現在について、本日のブログ題材とさせていただきます。

▼まず、名門証券会社として鳴らした、レイノルズ証券の話から始めます。リチャード・レイノルズ・ジュニア(Richard S. Reynolds, Jr.)という経済界の立志伝中の人が、世界恐慌のあとにアメリカにて証券業を立上げ、名門証券会社としての地位を不動のものとします。この会社の社訓(タグライン)

"We work for a world of investors. One at a time." (我々は投資家ひとりひとりに寄り添い努める)は、 "We measure success one investor at a time"(ひとりひとりの投資家に成功を届ける)と形を変えたものの、その後この証券会社を買収したディーンウィッター及びそれをまた飲み込んだモルンガンスタンレーに引き継がれているそうです。社訓大好きな筆者のような零細投資家にとっては、まずポイント高いところです。

Reynolds Securities logo from 1977

▼続いて、ディーンウィッターという会社が登場します。ディーンウィッター(Dean G. Witter)という人が創業しました。こちらも証券会社ですが、1978年、当時のウォールストリートで最大規模の証券会社同士の合併劇が起こり、ディーンウィッターとレイノルズは合併し、ディーンウィッターレイノルズが誕生します。ディーンウィッターレイノルズはその後一旦小売大手のシアーズの傘下に入りますが、そこからクレジットカード大手のディスカバーのグループに入ることになり、その際に名前はディーンウィッターディスカバーとなりました。この段階で、名門レイノルズの名前は外れましたが社訓は残りました。ここまでがいわば関ヶ原で言えば西軍のなりゆきです。

▼続いて東軍の陣立てです。英国ウェールズ出身の名門、モルガン家の孫息子のヘンリー・モルガンと、ハロルド・スタンレーの二人が、米国での銀行証券業務を分離せよというグラス・スティーガル法の施行に合わせて、金融業のモルガン商会からのれん分けする形で米国で設立されたのが、モルガンスタンレーのはじまりです。ちなみに、本家のモルガン商会は、はじめ英国拠点で活動し、創立者の(ヘンリー・モルガンにとってはおじいさんの)ジョン・ピアモント・モルガン(J.P. Morgan)の名前のまま、JPモルガンという総合金融グループに成長しますがこれは別の機会に。

▼貴種であるグレートブリテン島ウェールズ出身、モルガン家の孫息子ヘンリー・モルガンと、繊細かつ大胆な経営で腕を鳴らした米国マサチューセッツ州生まれのハロルド・スタンレーは、おそらくとてもウマが合ったのでしょう。ハロルド・スタンレーは、1955年まで実に20年もの間、モルガンスタンレーのCEO(最高経営責任者)の地位にあり、同社を率い、モルガンスタンレーの米国随一の証券会社(投資銀行)に育て上げたのです。もちろん、オーナー家のヘンリー・モルガンの強力な後ろ盾もあったでしょうが、とにかくこの二人のコンビはとてもうまく行ったのです。

▼そして、1997年、今日の記事の「その時」がやってまいります。モルガンスタンレーとディーンウィッターディスカバーは、世紀の大証券会社同士の合併に合意します。新会社の社名は「モルガンスタンレーディーンウィッターディスカバー」。長い名前でしかも、この新会社のCEOはディーンウィッターディスカバー側から出すという大盤振る舞いでした。1997年といえば、日本は金融危機で20行あったといわれた大手金融機関たる銀行が、3グループに集約されていく号砲が鳴った時期であり、筆者のようないたいけな零細労働者がその業界の門をくぐった年でもあります。

▼すわ、西軍完全勝利か!と思わせたのもつかの間、翌年1998年には、社名は「モルガンスタンレーディーンウィッター」となり、クレジットカード会社大手のディスカバーの名前はさっくりと消されました。どうして、ディスカバー側から出されたCEOがそれを認めたのか、詳細はわかりませんがとにかくこれで、証券会社を由来とする外野の名前をまず消し去ったモルガンスタンレーは、続く2001年、ディーンウィッターの名前も消し去り、元のモルガンスタンレーへの回帰を果たします。こうして西軍は完全に東軍に組み敷かれ、東軍の一部(養分)として歴史に名を残すのみになったというわけです。

▼こうして、モルガンスタンレーは、2021年の現在も、創業時と同じ名前で、隆々とその事業基盤を固め続け、利益を上げ株価を押上げ配当をたたき出し続ける、キャッシュマシーンとしての地位を不動のものにしているのです。この会社の100年近くに及ぶ歴史、そして米国金融市場という戦国時代並みの生き残りがきびしい世界を生き残った生命力から、少々株価が高くてもこの会社は買うべきだと判断しました。買うといってもわずかな株数の株主になるだけですが、キャッシュ生成マシーンとしてのこれからの活躍に、切に期待を寄せるものであります。

▼米国金融市場には、ゴールドマンサックス、JPモルガンチェースといった、強力なライバルがひしめき、世界中から有能な役職員を高給で雇い、彼らを限界を超えて働かせ巨額の利益を上げ続けています。資本市場という、人類が発明した中では最も活動をカネに変えやすいこのマーケットを舞台に、カネを戦士に変えて戦わせ、そしてカネを得てさらにそのカネを投資にぶち込みカネを得る、正しいカネの亡者たちの宴を見ながら、人間の業について少々考えをめぐらせるのもまたおつなものだと思っています。

▼さて話は変わりますが、やっぱり会社の名前で鉄板は「個人名」だと思います。モルガンスタンレーに限らず、長く続いている会社の名前がひたすら創業当時からの人名であることが多いのがその証左だと思います。世界最古の企業である千年企業、金剛組も創業者の金剛さんの名前から来ています。その意味で、かの筆者も大尊敬する松下幸之助さんの名前を冠したある家電グループが、いきなり2009年に商品ブランド名に会社ごとかえてしまったことは大変残念でありましたことを付け加えて、本日の記事の上程とさせていただきます。それではまた明日ごきげんよう。

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