天皇譲位における大きな論点その1「上皇」につき論じたいと思います
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おはようございます。
2016年7月の日本の伝統に関する配信記事です。
先日、天皇陛下の譲位ご意向ということで記させていただきまして、思わぬ反応をいただきましたので、その続きになります。
天皇を一身専属、終身制にせずに譲位を可能にする場合、どういった論点があるのか、その対応法などについて述べておきます。
生前に譲位された場合、いわゆる太上天皇(だいじょうてんのう)、通称「上皇」という地位になります。
この上皇や法皇といった地位にとどまり、治天の君として事実上の最高権力を保持した「院政」というものが平安末期に登場したという前例があります。
院政(いんせい)とは、在位する天皇の直系尊属である太上天皇(上皇)が、天皇に代わっ て政務を直接行う形態の政治です。
上皇自体、もしくは上皇の政務をとった場所周辺が「院」と呼ばれたので、院政といいます。
ここで、院政とは事実上次の天皇を決める権限を最終的な権力の源泉として、いわば私的な立場を前面に出して強力な力を保持しました。
すなわち、上皇であれば公的な立場である天皇に比していろいろと縛られずに、私的な身分として台頭してきた階級である武士などと主従関係を結ぶことができ、お互いに利用できる関係になったわけです。
天皇とは直答できない
武士の方も、殿上にあがれる立場では到底ない、単なる用心棒以上の公的地位はなかったわけで、こちら側としても上皇といった「私的な」「プライベートな」関係から始めていくのは権力に入り込む上で都合が良かったのかもしれません。
なにしろ、公的な「天皇」とは直答すら許されないという関係です。
この点、上皇という私的立場であれば、こうした身分的に低く公的な政治の場には携われない武士を個人的な家臣とし、貴族と同様に職や土地を与えて、かわりにさまざまな「仕事」をしてもらうことができたのです。
したがって、院政とは、台頭してくる新階級である武士に対し、それを権力の座に導く間に一時的に登場した、天皇親政を補う二重権力状態であったのかもしれません。
すなわち、天皇はその権力を維持し強化し、上皇はそうした新しい力を糾合する新たな立場から全く新しい権力を作り上げ、それぞれが補う形で公的私的に権力を握ったのが院政ということになりそうです。
平安末期の院政については、その後台頭してくる武士階級である平氏や源氏との激烈な権力闘争、そして天皇方との確執などに苛まれ、その政治形態は一時の栄華も過ぎ去り衰退していくことになります。
平成、そしてその後の上皇制度が、制度的にも心情的にも多くの関係者が満足し折り合えるようなものになることを願ってやみません。
こちらからは以上です。
(平成28年7月18日 月曜日)
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