そうせい候と呼ばれた長州藩藩主の毛利敬親に学ぶここぞという時の決断(2015/08/17)

伊藤博文(前の前の千円札)

おはようございます。

2015年8月の古いお札の記事です。

幕末の長州藩主毛利敬親は、家臣の意見や上申に対して、「うん、そうせい」と返答したため、「そうせい候」という渾名もある君主です。

年下の吉田松陰に教えを受けるうち、感銘を受け自ら門下になるという人柄で、藩の人々から慕われました。

一般に名君というほど、動きは派手でもなく、また独創力を大いに発揮したというわけではありませんが、おそろしく人を見る目が確かで、寛容で、物事の方向性を理解していたようで、彼の周りには、自然と藩内の賢士が近づける雰囲気があったようです。

普段は人に任せてここぞという時に決断できる人

藩政についても、普段は家臣任せであるところ、重要段階では必ず自ら決断し、その覚悟を示したと言われます。

目立たないことが最も目立つ方法というのを地で行った、実は類まれなリーダーだったのかもしれません。

彼の家臣である高杉晋作のそのまた弟分であった伊藤利助という人が、後に初代内閣総理大臣になるなど、当時の人々は(本人も含めて)思いもよらなかったのではないでしょうか。

ちなみに飲み会では大統領と呼ばれることもあります限定インフレの筆者からは以上です。

(平成27年8月17日 月曜日 最終更新:平成28年8月17日 水曜日)

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