親には感謝しかない

最近、親ガチャ、というネットスラング(俗語)を見かけますが

親には感謝しています。産んでくれてありがとうとしか言えません。

その親の、おじいちゃん、おばあちゃんも(4人いるはずですが)、よくぞ生きて親を生んでくれたと思いますし、そのまた上のひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、ひいひいおじいちゃんおばあちゃんに至っては、2の階乗分ご先祖様が増えていきますが、そのすべてのご先祖様が、生きて、そして子供を産んでくれたからこそ、今の自分の人生があると考えれば、親ガチャなどというスラング、ソーシャルゲームなどのガチャにかこつけて、望ましくない親元に生まれたことを呪ったり嘆息したりするために使うのは気色悪いだけです。

親に失礼でしょう。自分の子供がそんなの使ったら張り倒しますよ。

どうも、筆者が見るに、親ガチャというスラングは前から使われていたし、実際、googleトレンドでも2010年代から地味に使われていた様子がうかがえますが、同じく、毒親というフレーズ、子供を過度に抱え込もうとする親、親の夢を過度に子供に追わせて結果親が刺し殺されたりしたあの滋賀県大津市の事件などを見るに、親子関係というものは非常に大変なものだと思うわけです。

それでも、親は選べないけどその親たちあっての自分であるということはよく覚えておいた方がいいです。

それが、大人になるということでしょう。

「親ガチャ」は、親は自分で選べず、どういう家庭に生まれるかは運次第であり、ソーシャルゲームの「ガチャ」のようなものであるといった意味ですが、こんなの、かの松下幸之助さんに言わせれば、貧乏で、体が弱くて低学歴、というのを逆に強みに変えて人生を太く生きたのを見ればどうでもいいことじゃないかと思います。

一つだけ、言わせてもらうと、親ガチャでどうのなどと言っている奴の子供になるのだけはまっぴら御免だ、ということでしょうか。

終わり