ビジネス客を観光に取り込め
今の中学校高校では、英語の筆記体を教えない、という話をすると、昭和生まれの人はたいてい驚くのですが、そういうものです。
時代は令和です。平成を超えて令和。時代は流れているのです。
さて、今日は過疎に悩む地方都市が交流人口の増加を目標とした集客対策に励んでいますが、そんなの意味ないという話から始めます。
そもそも、自然増が達成されていない国において、その現実から目を背けた交流人口なる適当文言をひねくりだしたところで、何も政策目的は達成されません。
まず必要なのは、少子化ストップと自然増の達成です。
多産を推奨し、保育や出産支援がなされるのは、当然のこととして、その上で、子供を産み育てやすくするためのあらゆる政策を総動員すべきです。
そして、子を産むことと、育てることを分離してよい、という社会の雰囲気を創り出さなければなりません。
産んだ親が頑張って子供を大学まで出さなきゃならない、という強烈な同調圧力が、そもそもの出生率と出生数の大きな歯止めになってしまっているのですから、産むだけ産んでヨシ、産んだらあとは何とかなるさ、という鷹揚な、適当な社会構造を創り出すべきなのです。
これは、無責任ということではありません。責任取りたくないからリスクでしかない子育てはしない、というのでは本末転倒なのです。
つまり、産むことに注力、そして、産んだ後は社会全体で育てる、という仕組みです。
政治や制度ができることなんて、そのくらいの雰囲気づくりとそれから予算配分くらいなもんです。
それでも、高齢者の余命をたかだか数か月伸ばすための延命治療に多額の公金や社会保険料が使われている現実を見れば、そもそも生まれてくるべき子供を増やす方がはるかに政策目的を達成できそうに思いますがいかがでしょうか。
このまま、自分の子供ではない他人の子供に、自分の老後の世話を頼みましょうという中年や老人ばっかり増えてよろしいのでしょうか。
そろそろ世代間における真の衡平というものについて考えるべきだと思います。
さて、地方都市の集客対策ですが、どの地方都市も、観光を目的とした観光人的交流ばかりに目が向いていますが、よく考えれば、人が移動する原因の最も大きなものは、スーツ姿の出張族なのです。利用者の多くを占めるこのビジネス客に対して、少しだけでも観光要素を満喫してもらい、感じてもらう取り組みをすることが、本来の観光資源の活性化につながると思います。
出張者は、律儀にも職場と家庭に土産を買います。
単純な観光客より購入額が高いと統計されています。
加えて、可処分所得も高く、夜の会食では昼の仕事の疲れも吹っ飛ぶような料理に舌鼓をうち、地元の顧客と人間関係を作ろうと余念がありません。
そのくせ、出張者の姿を町で見るのがあたりまえになってしまっている地元側は、彼らをお客さんとして遇する気概に欠けていると思うのです。
もっと書きたいことはありますが、集客を増すためには、まず①絶対人間数を増やすこと、次に②仕事で訪れるビジネス客こそ大事にすること、このアプローチ順ではないかと、当たり前ながら思うのです。
以上