縄文時代、戦争はなかったというかできなかった

質問 縄文時代は戦争のない平和な共和制の時代だったと聞きました。本当ですか?なぜですか?

答え 古代日本ってそれぞれの生活圏間の移動が滅茶苦茶大変なんですよ。例えば道のない山林を超えて出雲から九州まで行くってどんなことだと思います?伊勢から平城京とか?もう行くだけで青息吐息。そこを、さらに略奪して穀物や奴隷を奪って持って帰るって物理的に無理なんです。せいぜい港間で高価な交易品を奪い合った程度じゃないかな…という感じです。

一言でいいますと、戦争アンド掠奪というビジネスモデルがまったく割に合わない程、日本列島の地形での移動が厳しかったからなのです。

治水がないから平野部は湿地帯で住めたもんじゃない。川は頻繁に氾濫するから川沿いも危険。

古代日本の中心地に盆地が多い理由は山麓の安定した湧き水が使えるから。自然と山間部と平野部の中間地が居住区になって、それはそれ程広大な領域ではなく、山々にポツポツとある程度。そこの行き来って行くだけで死にそうになりますよ。砂漠のオアシスどころの話じゃないっす。

古代日本の名所を見ると、川から離れてて、山の麓か、港湾って立地だと分かります。熱田神宮は平地の真ん中に見えますがそこらは埋め立てられてて海岸線は本来もっと奥までありました。特に伊勢神宮と出雲大社は山の麓かつ港湾という神立地だと分かりますよね。