憲法第23問
2022年11月21日(月)
問題解説
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問題
Xは、平成10年ころ、A県内において、アメリカ合衆国軍所属の兵士との喧嘩が原因となって、兵士1名を死亡させ、傷害致死罪で懲役3年(実刑)の判決を受けた(以下「本件判決」という。)。
この事件は、当時、A県では、Xの実名とともに大々的に報じられたものの、他県では、ほとんど報道されておらず、事件自体もほとんど認知されていない。
Xは、服役を終えた後、A県とは遠く離れたB県で、結婚し、タクシーの運転手として仕事をするなどしていた。もっとも、Xは、会社にも配偶者にも、本件判決については、秘匿していた。
Yは、米軍基地問題について関心を有するジャーナリストであるが、A県での取材中に本件判決の存在について知り、米軍基地の問題点の一つとして、広く世に知らしめる必要があると考えた。
そこで、Yは、本件判決を題材とするノンフィクション作品 (以下「本件作品」という。)を執筆し、平成25年、B県を含む日本全国で出版した。本件作品では、全て事実に基づく記載となっており、Xの実名も使用されていた。
Xは、承諾もなく、実名を使用することは、不法行為(民法第709条)に当たると主張し、Yに対し、損害賠償請求訴訟を提起した(以下「本件訴訟」という。)。
以上の事実を前提に、以下の小問に解答しなさい。
(1) Xが本件訴訟で行う憲法上の主張について、論じなさい。
(2) Xの主張に対して、Yが行うと考えられる反論を指摘した上で、裁判所としては、いかなる判断を下すべきかについて、論じなさい。
解答
第1 小間(1)
1 Xは、本件訴訟において、YがXの承諾なく、実名を使用して本件判決を題材とする本件作品を出版した行為について、法的利益の侵害(民法709条)があったと主張することが考えられる。
具体的には、プライバシー権(13条)の侵害があったと主張すると考えられる。
2(1) 私的領域を侵害されないことは平穏な生活をするためには欠かせない利益である。かかる権利の保障は人格的生存のために必要不可欠といえるからプライバシーの権利は私生活をみだりに公開されない権利として13条で保障されているといえる。
その要件としては、①私生活上の事実又は事実らしく受け取られるおそれのある事柄であり(私事性)、②一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること(秘匿性)、③一般の人々にいまだ知られていない事柄であること(非公然性)が必要であると解する。
(2)ア まず、本件作品は、全て事実に基づくものであり、Xの私生活上の事実である (①私事性要件充足)。
イ 次に、そのような実刑判決を受けたという前科に関する事実は、一般的に他人に知られることを欲するものではなく、しかも本件作品は実名を用いたもので個人を特定することができるから、Xにとって特に公開を欲しないであろうと認められる(②秘匿性要件充足)。
ウ また、本件判決にかかる前科 (以下「本件前科」という。)に関する事実についてXは現在の職場はおろか配偶者に対しても知らせておらず、A県以外ではほとんど認知されていないから、一般の人々にいまだ知られていないといえる(③非公然性要件充足)。
(3) したがって、本件前科についての事実は、プライバシーに関する事実といえ、これをみだりに公開されない権利は憲法上保障される。
3 よって、Xの承諾なく、Xの実名を用いて本件前科を公開したYの行為にはプライバシーの侵害が認められる。
そして、プライバシー権は、人格的生存の根源に関わる重要な権利であるし、一旦失われてしまえば回復が不可能ないし著しく困難なものである。しかも、前科等は、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つである。
したがって、上記公表を正当化するような特段の事情がない限り、違法性は阻却されないと解すべきである。
本問では、上記特段の事情は認められないから違法性は阻却されず、Xの請求は認容されるべきである。
第2 小問(2)
1 Yの反論
(1) Yとしては、本件前科は社会公共の関心事であって、時の経過によりそれがプライバシーとして保護されるに至ることが説明しにくく、③の要件を満たさないという反論をすることが考えられる (以下「反論①」という。)。
(2) また、仮にXの本件前科についての情報がプライバシーに当たるとしても、Yの本件作品の出版は表現の自由(21条1項)により保障された行為であるから、違法性が阻却されると主張することが考えられる(以下「反論②」という。)。
2 裁判所が下すべき判断
(1) まず、反論①については、理由がない。
確かに、Xが有罪判決を受け服役した当時は、社会公共の関心事であったかもしれない。
しかし、有罪判決を受け服役したという事実が、時が経過し、本人が無名の一市民として通常の社会生活を送るようになった段階では、新たに形成された私生活の平穏を害されず、更生を妨げられないためにみだりに公表されるべきでない情報となるに至ると解することも十分に可能である。その限りで③の要件を満たすと考えるべきである。
本問において、Xは、服役後、A県とは離れたB県において結婚し、タクシー運転手という定職につき、会社にも配偶者にも本件前科にかかる情報を秘匿しているのだから、かかる情報が公開されること私生活上の平穏が乱される可能性が高い。
したがって、③の要件も満たされるから、Xの主張する権利は、プライバシー権として認められる。
(2) 次に反論②、すなわち違法性の有無について検討する。
ア 確かに、Yの反論どおり、Yによる本件作品の出版は表現の自由により保障される行為である。しかし一方で、Xのプライバシー権も、人格的生存に不可欠である。
そこで、違法性が阻却されるかは、公表によって被る被害の程度、公表の目的や意義、公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に勘案し、これらを比較衡量して判断することが必要である。
イ 本件では、本件判決から本件作品が刊行されるまでに15年が経過しており、その間、Xが社会復帰に努め、新たな生活環境を形成していたのであり、前科者に対する偏見がいまだ社会的に払しょくされていないことに照らせば、本件事件を実名で公表することによってXが被る不利益は重大なものである。
一方、Yは、本件作品の公表によって、米軍基地の問題点を世に知らしめようとしたのであって、その目的は正当なものである。
しかし、Xの実名を使用する必要はなく、まして、Xは公的立場にある人物のようにその社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として前科にかかわる事実の公表を受忍しなければならない立場にはない。
ウ したがって、本件では違法性阻却は認められない。反論②についても理由がない。
(3) 以上から、Xの請求を認めるべきである。
以上