福井たかおさんインタビュー

【1日密着】福津市議会議員 福井たかおに密着取材してみた!

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福岡県 福津市議会議員 福井たかおさんインタビュー

福井たかおさん  福津市議会議員

1988年、長崎県・五島列島の宇久島生まれ。34歳。久留米大学法学部から九州大学大学院へ。同修士課程修了、同後期博士課程を単位取得退学。福岡県糸島市や富山県氷見市などでまちづくりプロジェクトに携わった後、福岡県福津市に移住。同市津屋崎のまちづくり会社に就職後、2019年から福津市議会議員。全国各地でワークショップやまちづくり講師、イベント参画例多数。趣味は「1年365日の議員活動」に、読書とソフトボール。

 ―元々、福井さんは長崎県のご出身ですね。2016年から福津市に移住していますが、どういった経緯で?
福井 五島列島の宇久島で生まれ、幼少期に名古屋や福岡に移りましたが再び島に戻り、島の高校を卒業して久留米大学法学部に進みました。大学では日本の貧困問題について学びました。その後、九州大学大学院比較社会文化学府修士課程で政治学を研究していたのですが、その頃から地域づくり、まちづくりに関心を持つようになりました。
日本の貧困や政治への無関心について研究していく過程で、高度経済成長期に地域から都会に人が流出し、そのまま地域に戻って来ない構造がずっと残っているということが見えてきたのです。本来なら地域に残っていても豊かな生活ができていたはずなのにです。そこで、地域に残る暮らし方を取り戻すには、地域が持っていたものを見直すことが必要だと感じ、地域のまちづくりに関わるようになりました。
 その一環として2012年から福岡県糸島市で、空き家を改修してそこに暮らしながら、地域のコミュニティスペース「まちの縁側 つなぎや」を作って運営していました。実はその際に参考にしていたのが福津市内の津屋崎のまちだったのです。歴史は古くても決して閉塞的ではなく、新しい人が入ってきて、新しいことをやりつつ楽しく暮らしている現状を見ました。まさに私が考えていたモデルが津屋崎にはありました。
 ―移住の直接のきっかけは?
 福井 その頃から、いつか津屋崎で暮らしてみたいと周囲にも言っていたのですが、16年の春に縁があって津屋崎のまちづくり会社に就職し、それに合わせて移住しました。
 ―何が福井さんを引き付けたのでしょうか。
 福井 自分を癒してくれる場所とでも言いましょうか、住んでいる人たちも本当に温かいんですよ。例えば、まだ移住する前だった頃、仕事で忙しくて色々と悩んでいたときに津屋崎を訪れると、非日常というか、悩んでいるものから解き放たれていくような感じがありました。そういったことを住民の人たちとの出会いを通して体感したのです。懐の深さみたいなものがまち全体に溢れていました。
 それともう1つ。先にも少し触れましたが、新しく移ってきた人たちが、色々な働き方に挑戦しながら暮らしているという点も魅力です。
 ―例えばどういったことですか?
 福井 福津と言えば、アイドルグループのCMロケ地にもなった宮地嶽神社や、海岸が観光スポットとして知られていますが、津屋崎の海岸から少し入ったところに、「津屋崎千軒」というまち並みがあります。江戸時代から昭和初期にかけて、塩の積出港として栄えていた一角で、今も当時を思い起こさせる古民家が軒を連ねています。
 ところが、その「津屋崎千軒」も、長い年月を経て新しい建物に建て替えられるなどして、古民家がだんだんと減っているのが現状です。
 その中で、「まちの文化として残しておけないか」と「津屋崎千軒」の古民家を働く場所として活用している人たちがいます。観光客向けの着物レンタルや着付けの店舗、日替わりのカフェ、ゲストハウスなどさまざまです。こういう形で、何かしらの挑戦ができることは、まちの活性化につながる条件の1つだと思います。
 ―周囲の人の理解もあるのでしょうね。
 福井 古い歴史のある地域だと保守的で新しいアイデアを摘み取ろうとするイメージもあるかと思いますが、津屋崎には、挑戦しようとする人たちが本気であれば、「応援してあげるよ」という雰囲気がありますね。
 「津屋崎千軒」で言うと、明治34(1901)年に建てられた染物屋の古民家があります。今からおよそ30年前になりますが、老朽化のため取り壊す話が上がっていました。それに待ったをかけたのが、行政でも関係者でもない、とある高校の美術の先生でした。家屋の歴史的価値に感銘を受けて「後世に残すべきだ」と立ち上がり、当時としては珍しいですが、家屋の中でアートイベントを開いたり、今でいうワークショップのはしりみたいな催しを実施していました。そういった思いが受け継がれて、現在は地元の保存会の運営で民俗館「藍の家」として地域の文化交流の拠点になっています。
 新しいアイデアは地域で受け入れて、まちおこしにつなげていく。津屋崎、そして福津には、そんな素地が昔からあります。元から住んでいた人も新しく移ってきた人も、挑戦できる土壌があるんです。ですから、私たちも、それらを引き継いでいきたいですね。
 ―色々なことに挑戦しながら暮らしていけるという点では福井さんご自身が体現されていますね。福津に移住されて、福津の会社で働いて、そのまま福津で市議になられて・・・。
 福井 そうなりますね(笑)。
 ―市議になったきっかけは?
 福井 佐賀県伊万里市にまちづくりの事例を学びに行く機会がありまして、現地の議員の皆さんが、住民の話に耳を傾けて地元のまちづくりに積極的に関わり、政策を実現している姿を見ました。それを自分でもやってみたいと思ったのです。
 ―2019年1月の市議選に立候補した結果、当時31歳の最年少で初当選されました。
 福井 たくさんの方々に応援していただいたおかげです。
 ―4年間の任期もあと半年余りとなりましたが、振り返るといかがですか。
 福井 子どもたちが健やかに学べる環境を作り、子どもの未来のために住み続けたいと思える福津市を目指そうと活動してきました。福津市は人口が7万人に迫る勢いで増え続けています。当然、子どもたちの人数も急増しているわけです。その中で、市として先行的に対策ができているか。具体的には、オンライン学習の充実化やICT支援員の拡充などによる学習環境のインフラ整備を訴えてきました。これらは、幸いにもコロナ禍の中で前に進みました。
 一方で、この4年間の半分以上がコロナ禍だったため、その対策を訴えることが最優先でもありました。
―今後も福津の地で政治家として挑戦し続けますか?
福井 はい。次も挑戦します。引き続き、子どもの教育環境についてハード、ソフト両面からの整備を訴えていきます。同時に大切なのは地元の歴史、文化をしっかり子どもたちに伝えていくことです。コミュニティスクールという形でもいいですし、学校と地域が協力し合って、福津全体として人を育てていく。これを福津は目指していけるし、目指していかなければならないと思います。それに、現在の福津市には教育上の子どもの権利の条例がないので、それらを提言していきたいですね。
また、このほかにも福津市には課題がいくつかあります。その課題解決のために活動していきます。
―どんな課題がありますか。
福井 観光面でいうと、滞在できる場所が少ないので宿泊施設を含めた受け入れ体制の整備ですね。
もう1つは、地元の産業振興です。例えば農業でも700人ほどの農家さんがいますが、高齢化が進んでいます。できれば地産地消でありたいですからね。また、観光と働き方を合わせれば、ワーケーションなども考えられると思います。前で述べたように、福津は暮らしながら新しい働き方ができるまちだと思いますので。
 また、産業振興の点では、議会が果たすべき役割もあると思います。私は、議会は行政のチェック機能だけでなく、まちづくりの一員であると考えています。であれば、立法機能をきちんと果していきたい。議会発の産業振興条例の制定を目指したいです。
 ―福井さんは福津市議会で、ICT研究会の座長も務めていますね。
福井 市民の皆さんに議会をより身近に感じてもらえるように、言わば「見える化」の取り組みです。例えば、議会便りも図解を多用してずいぶんと見やすくなりました。それをスマホで閲覧可能にしたり、Webでアンケートを取ったり、色々な部分でICTの導入ができました。ただ、議会の公聴機能としてはまだ道半ばですので、引き続き取り組みを強化していく必要があると思います。
―市民の皆さんに議会を身近に感じてもらうことは大切なことですよね。
福井 本来、政治は暮らしの延長にあるものです。また、まちづくり、地域づくりの延長でもあります。福津に住んでいる人が、「福津のために地域で何か取り組みたい」と活動してくださる。また、そういう人たちが増えてくる。そうすると政治が皆さんの「我が事」になるはずです。私はそこのお手伝いがしたいのです。
―なるほど。本日はありがとうございました。