己に恥じぬ戦いをなされませ(アンゴルモア元寇合戦記)_アニメや漫画の主人公の目や瞳が小さいというレアケースについて考察してみます

アンゴルモア元寇合戦記「己に恥じぬ戦いをなさいませ」
おはようございます。
2018年10月の筆者提供のいつものマンガやアニメに関する配信記事です。
今回は、「アンゴルモア 元寇合戦記」という原作漫画、最近アニメ化もされた作品の紹介なのですが、書き出すと止まらないのでテーマを絞ります。
この主人公、元鎌倉御家人の武士、朽井迅三郎(くちい・じんざぶろう)について、です。
舞台は後世に「元寇」として記録されることになる文永の役、それも緒戦となった対馬での元軍連合軍と、島の地頭家(宗氏の郎党)およびそこに呼び寄せられた浪人、およびはるか昔から当地に防人としてあった者たちとの、凄惨な戦いを描いたものです。
内容は本編に預けるとして、ここで漫画素人の筆者が言いたいことを一つだけ書きますと、この主人公の「目」と「瞳」についてです。
漫画の挿絵のその主人公の、この目をご覧ください。
目や瞳とは、特に漫画やアニメの世界では、もっとも重要なポイントで、目は口ほどにモノを言う、を地で行っている重要なパーツであり、現に、あらゆる日本のアニメの、特に女性の瞳は実物比で極めて大きく、このままの眼球規模が頭蓋骨の中に格納されているとすれば、脳の容積は極めて小さくなるはずであろうという推察がなされるのでありますが、かように、実物より大きくなりがちな瞳が、この漫画の主人公には当てはまらず、三白眼というよりもっと小さい「粒」に瞳が成り下がって、もとい、縮こまっているのです。
より解説いたしますと、主人公朽井の眼(目、眼球)自体はそれなりに大きいのですが、瞳はというと、この作品の登場人物の中で最も小さい部類に入るのです。
これは、この漫画も例に漏れず、内面を過剰に表す必要がある女性キャラクターの巨大な目かつ巨大な瞳とは正反対に、この豆粒のような瞳は、彼の内面の苦悩をぐっと濃縮させたような、そのような得体のしれない、何を考えているかわからない、もしかしたら犯罪者、流人の分際となってやけっぱちになってしまいかねない不安定さや心の揺れ動きをも表している、極めて技術的に高い絶妙な漫画技術ではないかと思うのです。
瞳の大きさだけで既に1千字に迫る文字数となってしまっておりますが、どうして少女漫画になるほど瞳の大きさが不自然に大きくなるのだろうと幼少の頃から疑問であった筆者の疑問に一つの仮説が生まれてきたのです。
瞳は内面の発露ではないかということです。
内面を示す鏡のようなものであり、それを覆い隠すためには、小さい瞳が適するのではないか。
いかがでしょうか。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
そんな物語本編に入る前に考察してしまう、漫画やアニメについてはあまり詳しくない筆者からの感想は以上です。
(平成20年10月2日 火曜日)