学歴社会を作っているもの

貧弱!

高2の女子ですら、私は人を学歴で判断してしまいます。でもそれは良くないと親から言われました。みなさんは人を判断する際にまず何を見ますか?、などというアホな質問をしてくる令和の世の中になりました。私はむしろ「学歴を口にする」「学歴を聞きたがる」そういう奴はヤベえ奴だと認識しています。自分は滅多に自分の学歴をいいませんし、他人の学歴を聞きません。これは「学歴は意味ない」と言いたいわけではないです。逆です。日本では「学歴の意味があり過ぎる」のです。害悪というか毒というべきぐらいに。だから安易に学歴をひけらかしたり、他人の学歴を聞いて値踏みするようなことは控えるべきなんです。そもそも日本の学歴は「何を学んだか」ではなく、ぶっちゃけ最終学歴です。学校名です。入試偏差値ランクです。わたしも某一流大学と呼ばれる大学を出ていますが、その名前を出すと、それだけで高く評価してくれてしまいます。しかしそんなものは嘘です。私は大学で得たものはそんな大したものではなく、普通の大学学部生の得たもの程度です。しかしなぜその程度の大学学部が評価されるのか。それは、そこの入試を突破して入れたからでしょ。でもその直接の功績はほとんど学習塾にあります。学習塾のお陰で受験をクリアし、大学がゼロでも、優秀という評価を貰えています。それって、実態としては学習塾の成果でしょ。大学の成果ではないでしょ。サピックスや四谷大塚、鉄緑会や中高一貫私立中高の成果でしょう。どうしてそこで大学名なのでしょうか?それは【大学名で偏差値ランクが分かる】というだけのことなのです。大学の中身なんてなくても、楽に人物評価ができる(できたように幻想できる)。こんな便利な仕組みはないわけです。だから、日本中の親が、我が子を一流大学に入れようと必死です。高差値ランクのラベル欲しさに。そうやってできた日本の教育制度は異形なものです。大学を目的外利用して、高度な専門的学識を得る場にしなかった。だから、日本人は高校までの普通科科目のペーパーテストで競えば、世界トップクラスでも、社会人になったら高度な専門学識で鍛えられていないので、

貧弱!貧弱ゥ!

なのです。こんなに貧弱なくせに、高偏差値ランクを誇りたいが故に、みなオジュケン競争に必死な訳です。オジュケンが終わればもう「勉強やだ~」です。これを滑稽と言わずに何を滑稽といいますか?こういう教育システムを支えるのがあなたのように。>私は人を学歴で判断してしまいます、とか放言できてしまう人です。本当に浅はかで愚かだと思います。高2だからといって容赦はしません。日本の大学のインチキさなんてものは、調べれば分かるもので、先輩や親や教師はみ~んな知っていることです。知っていて、悪い事をするのは、故意犯であり大罪です。もっと責任を感じてください。あなたのような人が大勢いるから、このインチキ教育システムは強固なヒエラルキーに昇華して、日本人をどんどん苦しめるのですよ。もっと本質を捉えてください。偏差値ランクなんかどうでもいいのです。どれだけ世のため人のために役立ったかが一番重要なんです。なのに、青春を犠牲にしてまで受験勉強で高偏差値ランクを獲得した!それは俺の努力の証だ!社会にでたらその見返りにサボらせてもらうぜ!俺には楽する権利があるんだからな!ってのが日本の実態なんです。高偏差値で優秀とされた人から優先的に会社でサボる、楽して高給を貰う。ですから事態は深刻なんです。一人一人がズル卑怯インチキを憎み唾棄する。そういう行動が必要なんですよ。「私も高偏差値ランクゲットで甘い汁を吸う人生が欲しい!」とか靡いたらあなた自身もひいては国家も衰退の一途です。我が事としてよく考えてください。まったくそういうのを卑屈って言うんですわ。大学の目的外利用はもうやめましょうや。自惚れるのもたいがいにせえ、ということです。

何かにすがるという意味では、学歴もイデオロギーも宗教も変わりありませんね。個人の感想です。

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